竹田の高台で武神を祀る。
広瀬神社の特徴
竹田の高台から街を一望できる、広瀬神社に訪れよう。
日露戦争の英雄、広瀬武夫を祀る神社が魅力です。
竹楽イベント開催中は、幻想的な竹灯籠の光景が楽しめます。
広瀬武夫は旅順港閉塞作戦で戦死したのち、軍神となりました。その生き様、リーダー像は、現代の我々も学ぶ点が多くあります。
広瀬武夫を訪ねて竹田へ!廣瀬武夫記念館を目指してくると広瀬神社⛩️広瀬武夫を祀る神社⁈軍神を祀る。まぁ乃木神社もあるのだから広瀬神社も良いのだろうが⁈私は違和感。それはさておき。長い階段を登った先にある境内は竹田の城下町がよく見えてとても良い場所です、紅葉🍁もキレイでした、
豊後竹田駅から岡城攻城に向けてレンタサイクルをこいでいると、岡城手前のトンネル付近で立派で凛々しい銅像を発見!拝見しててみるとなんと司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」でおなじみの軍神 広瀬武夫先生の銅像でした竹田市は広瀬先生の故郷で広瀬先生の人格と報国のお心を敬う地元の方々により建てられてそうです境内には、「日本のいちばん長い日」で役所広司さんが演じられた阿南閣下の銅像もありました。阿南閣下も竹田市出身とのことです展望スペースからは、竹田の城下町が一望できて気持ちがよかったです。
広瀬武夫を日本初の軍神として祀る。広瀬武夫は、日露戦争前は、ロシア駐在武官。ロシア人の恋人を残し帰国命令。シベリア鉄道が、中国に達し、日本とロシアとの戦いに備え、橇車(そり)2,200kmの調査。日露戦争(旅順港閉塞作戦)で、福井丸を指揮。魚雷を受け、撤退命令するが、部下の杉野孫七を探している時、頭部に軍砲弾を受け即死。享年35才。(1904年3月)その後、1935年(昭和10年)故郷の竹田市、この地に、広瀬神社が創建。
九州横断特急にて、豊後竹田駅で下車しました。目的は、岡城跡です。行きはタクシーを利用しました。千円以内で行けます。岡城跡を堪能して帰りは徒歩で向かいました。寄り道しなければ、下りなので駅までは20分程で到達できます。今回は、豊後竹田駅まで、向う途中に見つけた神社です。岡城跡からは、細いトンネルを歩きます。トンネルを抜けると神社があります。神社は高台にあります。長い階段を登りきると豊後竹田の町並みを一望できるスポットでもあります。地元の英雄である広瀬武夫氏の功績を讃えた神社でもあります。神社を過ぎると、城下町が広がっています。
日露戦争の英雄を祀った神社です。境内には太平洋戦争時の阿南陸軍大将も祀られています。共に竹田市出身なんですね。廣瀬武夫像は戦前はお茶の水と秋葉原の中間にあったターミナル駅万世橋駅前に巨大な銅像があったくらいの方です。朱印も置き紙。
荒城の月で知られる竹田の岡城の近くに鎮座。祭神広瀬中佐は旅順港閉塞作戦において乗艦に魚雷を受け退去の際部下の杉野兵曹長がいないことに気づきひとり沈みゆく艦に戻り杉野を探すがかなわず砲弾を受けて戦死しました。中佐は軍神として祀られ文部省唱歌にも歌われました。関東大震災で壊れましたが東京駅と似た赤煉瓦の美しい万世橋駅舎の前にはこの広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像がありました。それにしても日露戦争の頃は艦長も率先して退艦し部下の生死を心配してるのに大戦末期は艦長が艦と共に沈んだり勝ち目もないのに投降せず玉砕したり最後は靖国で会おうとか誓って特攻したり(特攻専用兵器も多数開発されました)どうしてあんなになっちゃったんでしょうね。
竹田市の岡城近くにあります🎵😺高台にあるため竹田の街が一望出来ます😊 竹田に訪れたらオススメのスポットです🎵😁
R4.11 20初めて立ち寄らせて頂きました(*>∇<)ノ此方は大分県竹田市にある日露戦争の英雄広瀬武夫公を祀った神社らしいです(*`・ω・)ゞ丁度この時期3日間は竹楽という竹灯籠に灯りを灯すイベントが行われており最終日に立ち寄り参拝させて頂きました(*≧∀≦*)町中の至る所に竹灯籠にキャンドルが灯されており幻想的な風景が癒してくれました(* ´ ▽ ` *)着いた時間が早く町中を散策し時間を調整しながら色々な場所の竹灯籠を観てまわりましたが個人的には此方が一番好きでした( *´艸`)駐車場は数ヶ所あり駐車場から竹田駅迄のシャトルバスが出ていました(^-^)/竹灯籠を観てまわるなら18時以降がお勧めかもです( 〃▽〃)そう言えばこの武将は誰なんだろう(・_・?)
名前 |
広瀬神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0974-62-3074 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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個人を祀ってる神社ですが竹田の高台にあり市内が一望できます。階段を登ると隣に岡神社もあります。広瀬神社は御朱印あります。