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| 名前 |
牛之塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
2019/09/29 訪問。この牛之塔と呼ばれ守られてきた宝篋印塔の建立時期については、明らかではありません。一般的に宝篋印塔は、下から順に返花座基礎・塔身・笠・相輸の五つの部分でできていますが、基礎に飾りがなく簡素であること、笠部が六段で隅飾(馬耳状突起)がほぼ垂直に近いこと、規模が大きく安定感があることなどから、鎌倉初期の元久頃(1204〜1206)と考えらます。石材は赤城山で産出する安山岩(通称:赤城石)です。塔身と相輪は江戸時代のものですが、総高は305cmあります。この塔の脇を南北に走り、太田・大間々線に交差する道は「尾島道」とも呼ばれ、古くから利用されており、江戸時代初期の絵地図にも道および塔が描かれています。( ↑ 引用させて頂きました)