赤間神社向かいの歴史を感じて。
朝鮮通信使上陸淹留之地の碑の特徴
赤間神社の参拝後に立ち寄れる石碑で、非常にアクセスが良いです。
江戸時代の通信使上陸を記念した歴史的な石碑が印象的です。
阿弥陀公園内に位置し、こじんまりとした雰囲気が漂っています。
江戸時代にあった通信使上陸を記念しての石碑です。
赤間神宮の向かいにあります。朝鮮通信使の石碑があって歴史が分かります。関門海峡が見えて景色もとても良いです!
錨の横、朝鮮通信使上陸の石碑。対馬から九州経由でここに上陸していたのか。
海沿いの公園に石碑がありました。
阿弥陀公園内に2001年に建てられた碑です。朝鮮通信使は室町時代の足利将軍時代から始まっていて、一旦秀吉の朝鮮出兵で中断されました。慶長12年(1607年)、徳川家康が国交を復活させようと使節を招いた事から李王朝との交流が再開されました。文化8年(1811年)、徳川家斉の代まで12回、将軍が代わる際や世継ぎの誕生があると500人位で祝賀の為に訪れていました。対馬を経由し、朝鮮通信使の最初の本土上陸地が現在の下関市(赤間関)でした。往路のみならず、復路も立ち寄りました。この朝鮮通信使上陸の碑が立つ阿弥陀公園あたりには上陸の為の桟橋がありました。廃仏毀釈以前には阿弥陀寺がここにあり、毎回朝鮮通信使の宿泊地となる豪華な客館が設けられ、通信使達が接待を受けたそうです。又、長州藩と朝鮮の学者とで様々な文化的交流がありました。
こじんまりとしていて何気に見過ごしてしまいそうな所。公園の横にくちた錨が!そして海に降りる階段。凄く危険な場所に感じました!子供連れは要注意!階段多分滑ります、落ちたら深そう!
赤間神宮向かいの小さな公園、朝鮮通信使上陸の大きな石碑があります。こじんまりですが綺麗に整備されていて遠くに門司港や関門橋が見えます。
興味があれば、ぜひお立ち寄りを!
歴史的場所でしょうか。
名前 |
朝鮮通信使上陸淹留之地の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
083-231-1350 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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赤間神社の参拝で、駐車場の近くにありました。