御嶽神社の桜、見応えあり!
御嶽大神の特徴
御嶽神社は西俣野の鎮守として親しまれています。
美しい桜が見られる神社で、訪れる価値があります。
猿田彦大神石廟の魅力が特に際立つスポットです。
猿田彦大神石廟が素晴らしい!
桜が綺麗な神社です。猿田彦大神の御嶽神社で駐車場は無いみたいですが、車を停めるスペースはあります。少しお参りする程度なら大丈夫だと思います。トイレなどは無いと思います。
西俣野を散策中に、観て来た😄思ったより見応えあり😍💞近くに来たら観て下さいませ🎶
名前 |
御嶽大神 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0466-81-3175 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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御嶽神社は西俣野の鎮守。「大日堂」と呼ばれ、平安時代に大庭御厨を開発した「鎌倉権五郎景政」や、俣野郷を領していた「俣野景久」が信仰していたと伝わる神社です。御神体の大日如来、不動明王は、鎌倉権五郎景政が20年に一度の伊勢神宮遷宮の際、その御柱を彫らせた一尺一寸の像であったと伝えられています。「俣野景久」は、大庭氏の一族で横浜市戸塚区と藤沢市にまたがる俣野郷を領した武将です。兄の大庭景親とともに源頼朝公に敵対し、「石橋山の戦い」では、「佐奈田与一義忠」との死闘を繰り広げたことでも知られる武将です。また、相撲の名手とも云われ、曽我物語では、曽我兄弟の父親である「河津三郎祐泰」に源頼朝を慰めるための巻狩りで催された相撲で21連勝で止められたお話しも残っています。この時「河津三郎祐泰」が「俣野景久」を破った技が河津掛けと云われています。大庭氏は、源頼朝公の挙兵を巡って、兄である「大庭景義」と弟である「大庭景親」、「俣野景久」とで、源氏と平氏で敵味方に分かれてしまいます。石橋山の戦いで、源頼朝公を打ち破ったる「大庭景親」、「俣野景久」ですが、富士川の戦いで「大庭景親」は捕縛され片瀬で斬首、「俣野景久」は逃れて平家の軍勢に加わりますが、倶利伽羅峠で源義仲と戦い討死したと伝わっています。源頼朝公の挙兵に加わった「大庭景義」ですが、息子の代に「和田合戦」で「和田義盛」に味方したことから大庭氏自体が滅んでしまいました。大庭氏が兄弟に分かれ、更には、ここ俣野から富山と石川の県境の戦いまで参じたことを想うと、「鎌倉権五郎景政」から続く大庭氏の勇猛さに感嘆してしまいます。長閑に青々とした田畑が広がる俣野の景色を見ながらそんな思いを持ちました。