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名前 |
お堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
青鬼集落から山の峰を隔てて南に1.5キロメートルほど離れたところに野平集落があります。山あいの美しい集落です。野平は岩戸山と高戸山とのあいだに挟まれた西向きの谷間にあって、集落の東側には物見山と柄山から伸びる峻険な尾根が迫っています。物見山と柄山の峰を結ぶ稜線は、白馬村と旧鬼無里村(現長野市)を分ける境界線になっています。野平は姫川の東岸の山あいにあって、古来から鬼無里や戸隠、小川などの山里と一体の文化圏をなしていました。これらの山里の村落は、千数百年も前からより高い山の尾根や谷間に集落を営んでいましたが、鎌倉時代から戦国時代末期にかけて、姫川東岸の山峡の谷間に降りてきて集落や農耕地を拓いたようです。野平集落は、塩島城跡がある城山の東麓にある水神宮橋を渡って姫川を越え、曲がりくねりながら東進する勾配のきつい山道をのぼっていったところの谷間にあります。この集落にも茅葺古民家が残されていて、基本構造を残して屋根を葺き替えたものも加えると、10棟ほどの古民家と小堂があります。日本の農村の美しい原風景を観察することができる貴重な場所です。集落の中心部の西のはずれにあるこのお堂が、本来何であったのかは不明です。出会った老婆(91歳)に訪ねたところ、子どもの頃からただ「お堂」と呼ばれていたそうです。北安曇では、明治維新で(松本藩によって)ことのほか激しく廃仏棄釈政策がおこなわれ、多数の寺院の破却が進められました。建物はもとより古文書や仏像など歴史を記す文物も大半が破壊されてしまったので、ところどころに残る小堂の由緒――それは村と住民の歴史と文化です――が解明できなくなっています。