徳川家ゆかりの広大な石垣。
養源院跡の特徴
養源院跡は水戸藩徳川頼房の養母が建立した歴史的な寺です。
明治期に廃寺となったものの、立派な石垣が見どころです。
敷地面積が広く、徳川御三家と深い関わりがあります。
江戸時代には栄華を誇っていたんだろうけれども、明治政府に跡形もなく潰されてしまったんですね。東照宮の方は人で一杯ですが、こっちは全然人がいません。
栄枯盛衰、明治時代神仏分離により敢えなく廃寺 散策 2019/11/19
「養源院跡」は明治の廃仏毀釈で廃寺になったとはいえ、徳川御三家の水戸家が大檀家であった寺で、広大な敷地を誇っていた。現在は石垣が残るだけで建物の面影は無い。2基の宝篋印塔が残るが、一つは水戸家の水戸頼房の養母、英勝院のもの、もう一つは家康の側室、於六の方(院号 養源院)のもので、どちらも寛永寺年間の古いものである。於六の方は、家康の死後一度出家し「養源院」の院号となったが、後に下野国喜連川藩の喜連川義親に嫁いだ。しかし、家康の法要で日光山を訪れた際に急死してしまった。この養源院とは、寛永三年(1626)、水戸頼房の養母であった英勝院が、家康の側室であった「於六の方」の菩提を弔うため建てた寺であり、院号をそのまま寺名としたものである。元禄二年(1689)四月一日には、「おくの細道」途上の芭蕉がこの養源院を訪れている。これは、芭蕉と曾良が東照宮を参拝するために、江戸浅草にあった清水寺(せいすいじ)の紹介状をここ養源院に届け、当時の養源院の使僧の案内で大楽院に行き、しばらく待たされた後、東照宮を参拝した記録による。
名前 |
養源院跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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養源院は、水戸藩徳川頼房の養母であった英勝院が、家康公の側室於六の方を弔うため建てた寺で、明治期に廃寺となり、現在では、広々とした立派な石垣が残っている場所になっています。