元町公園で出会う歴史の証。
我国塗装発祥之地記念碑の特徴
元町公園内、元町商店街の近くに位置しています。
嘉永7年にペリー再来航の歴史的背景があります。
渋塗職人町田辰五郎が関与した碑が佇んでいます。
静かな元町公園の中にあります。桜がきれい。
この手の記念碑の中では巨大な部類である。裏側の説明を見て理由を察したが、もっと簡潔に出来なかったのだろうか。更に「発祥の地」とあるが、交易談判所や塗装した町田辰五郎の住居跡。等といった関連が全くない場所である。そういう意味では本覚寺こそ、発祥の地として相応しいと思えてしまう。
元町公園内にある石碑です。
江戸の職人町田辰五郎が苦心の末、1853(嘉永6)年に完成したペンキ塗装を記念して建てられた碑。嘉永6年(1853)ペリーと幕府側役人が会見を行う「交易談判所」が神奈川宿に急造されたが、町田はこれに洋風の塗装を命じられ、米艦の援助の下でやり遂げたという言い伝えがあり、これが日本におけるペンキ塗装の始まりとされる。開港百年祭を機に建立した。
元町公園内にあります。
元町商店街から元町公園へ入った入口右手にこの碑は建っています。これには「我国塗装発祥地」と記されており、塗装、つまりペンキが横浜で 始めて使われたことの記念碑です。日本における塗装の始まりは、推測でしか分かっていないそうです。1853年(嘉永6)年、ペリーの来航に際し、幕府側役人と会見を行なう「交易談判所」が神奈川宿に造られました。そこに洋風の塗装を施すことになり、幕府は江戸の渋塗職人 である町田辰五郎に塗装を依頼しました。当時はペンキの存在自体知られていなかったので、町田辰五郎は熱心に試行 錯誤を重ねてみましたが、完成には至りませんでした。そこで、来航したアメリカの艦ヴァンダリア号の外人職工から技術や資材の 援助を受けて、日本人としてはじめてペンキ塗装を完成させました。記念碑がある元町公園が塗装の発祥地ではありませんが、横浜開港後は外国 人居留地内の西洋建築でペンキ塗装の需要が増したこともあり、横浜から技術が各地へ広 がっていきました。色々な事柄よりこの地にこの碑が建てられたようです。
嘉永7年(1854年)2月13日、ペリー再来航の際、江戸の渋塗職人町田辰五郎が横浜応接所建物外部のペンキ塗装を命じられ、これが我国で最初にペンキが使用された最初の例とのことです。
名前 |
我国塗装発祥之地記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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港が見える公園から元町公園からへ向かう途中に有りました。我国塗装発祥地と記されており、ペンキが横浜で 始めて使われたことの記念碑らしいです。