石原裕次郎の聖地で献花を。
石原裕次郎の墓の特徴
昭和の映画スター石原裕次郎のお墓は必見です。
昔からのファンが訪れる献花で溢れています。
見逃せない聖地で特別なお参りを体験できます。
墓地の所々に、「裕ちゃん(石原裕次郎)の墓処→」と書かれた案内板があります。また、綺麗なお花がお供えされているので、直ぐに見つかります。昭和の大スターと呼ばれる方のお墓ですが、落ち着いた雰囲気を漂わせています。お墓参りを訪れる方も多く、時々順番待ちの列ができる程です。
たくさんのお花が飾られていて、すぐわかりました。裕次郎さん、素敵な場所に眠ってますね。この墓地は日当たりが良い。
こちらは2024年10月31日の訪問となります。昭和のタフガイ・石原裕次郎氏の墓所です。總持寺のお墓って(有名人とかではなくても)凄いデザインのものが多いので、比較するとこれでもむしろ地味に見えてしまったりする……。所々に方向を示す案内板があるのですけど、ゴール寸前が『ここ一ヶ所案内板欲しいなあ』って感じで迷いそうなのでご注意下さい。
昭和の人なら誰でも知ってるスーパースター石原裕次郎さんのお墓一昔前は裕さんの法事の大法要の際にはとんでもない人が駅から大行列を作っていたのが懐かしい。命日や誕生日、月命日に身内や軍団の方が訪れることも多々。今もお墓はいつでも綺麗に保たれ、人の絶えない区民とファンの拠り所となっています。
総持寺に行きました。駐車場から坂を登って右側にありました。お線香がありました。お参りに行く方がたくさんいるんだなぁと思いました。
2023年7月18日火曜、総持寺夏祭りがあるため向かってる途中にありました。お墓にこの表現が合っているかわかりませんが、沢山の花が賑やかに裕次郎さんのために多くの方が献花されているように思えました。他界されて何十年も経過しているのに、愛されているんだな~ということが伝わってきました。場所は横浜市鶴見区にある総持寺です。総持寺の門に入り、直進に進みます。登り切ると売店みたいなものがあり右折。数十m先左折。自転車が飛び出さないように柵がしてある方面です。坂を登り続けると看板が出てきます。案内看板を辿ると着きます。
立派なお墓です。
裕次郎ファンなら一度はお参りしたいところです。
石原裕次郎氏のお墓を尋ねたいが場所が判らないと言われます。大本山總持寺嫡々庵をまず目指します。左側にある上り坂を通りますと慈照塔入口の碑があり、その先にお墓の場所を案内する小さい看板がありますので、その右矢印の方に進むと裕ちゃんの墓処の看板があり、そこで左折して突き当たりのすぐ左側になります。この道は鶴見大学付属中高の通学路に使われていて、生徒にはお馴染みの場所です。裕次郎さんにとっては相応しい場所になっていますね。西望6-1区画です。西望6-2区画の向こう側です。お墓には石原家の家紋である七つ矢車が見られます。これは源氏車(車輪を表した模様)から変化したもので鎌倉期には存在した歴史ある家紋です。破魔矢のように魔除けや武勇の意味があり、伊賀・服部氏とつながるものです。お墓は五輪塔形式です。上から玉ねぎ型で空(水を治める意味もあります)を意味する宝珠型の空輪・半球型で呼吸を意味する風輪・四ツ屋根型で笠のような体温を意味する火輪・球型で血液を表す水輪・一番下にある方形(箱型)の大地を表す土輪です。供養塔に用いられる形式でもあります。真言宗が最初に建立していますが、江戸期には木製から石造りとなって宗派を越えて用いられるようになりました。その点では歴史ある石原家らしい様式です。お参りの際は入口で挨拶して石畳を進みます。玉砂利には入らないようにしてください。右側の円形の中央が四角の石は「つくばい(水鉢)」です。三十三回忌法要が終わり、今後はお墓仕舞いも検討されています。いつまでお参り出来るかは判りません。一度立ち寄ってはいかがでしょうか。
名前 |
石原裕次郎の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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毎年!総持寺の本堂を参拝してから裕次郎さんのお墓へ参りお線香を焚いて手を合わせて帰ります福島の田舎から都会へ来て?必ず!でも?まきこさんと逢えて無い。