昭和46年の神社の由来を知る。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
阿波能須神社 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
|
評価 |
4.7 |
スポンサードリンク
周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
昭和46年1月に建てられた石碑に、概ね次の神社由来が記されている。祭神 天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)女性神であり、洲崎明神ともいう。夫の 天太玉命(アメノフトダマノミコト)は、阿波神社の祭神。ふたりの子孫 天富命は神武天皇の命を受け、天太玉命の斉部天日鷲命の子孫を率いて、麻や穀物の栽培に適した地を求めて阿波に赴いた。その一部は、阿波から房州に渡来し、菊間に至り定住した。そして、天比理刀咩命を祀り、神社の名を一族の発生地である「阿波」の地名からとり、「阿波能須神社」を造営した。明治初年、今井平太郎他19名により社殿の改修を行った。以上菊間で、一番海に突き出ていて、一番高いところに、阿波能須神社が建てられている。この地こそ、菊間発展の聖地!