戦国時代の風情を感じる。
月見平の特徴
米沢市の万世町堂森に位置する歴史的な展望台です。
戦国時代の伝説的な傾奇者が愛した山の一つです。
置賜探訪ツーリングを通じて訪れることを推奨します。
置賜探訪ツーリング2024
景色が良いです。
直江兼続と前田慶次郎 ここで杯を交わしたのか?
戦国時代最強の傾奇者と称された晩年の前田慶次(穀蔵院ひょっと斎)が、堂森の人達と花鳥風月を楽しんだという山です。慶次の供養塔がある善光寺の裏山になっていて、墓地の間をぬって朱色槍の案内板の通り頂上まで登れます。頂上には石社の他、前田家の紋が付いた月見平の表示、松の木が植えらています。今は木々が生い茂っていますが、昔はハゲ山だったはずですので、ちょうど真西に米沢城と米沢城下、北に高畠亀岡、東に梓山、南に早坂山、米沢藩内を一望出来た絶好の場所だったでしょう。木々の隙間からは今でもその片鱗が見えるビュースポットです。この山は、慶次の屋敷である無苦庵と繋がっていて(昭和45年頃八幡原道路によって分断)、毎日のように慶次がここに登っていたという謂れがあることから、この山はただの低山ではなく、慶次は見張山として利用していて、山城の機能を備えていたと思われます。登ってみると善光寺の反対側が急斜面になっていて、曲輪のようになっているのが分かります。また、下から周囲を回ってみると、山が人工的にえぐれ崖のようになっていることから、敵を誘き寄せて山頂から一気に攻撃しやすくなっているのが分かります。しかも、慶次清水から流れる川が堀の役目を果たしています。恐らく、この月見平は慶次の山城です。ここが山城であったならば、米沢城主直江兼続は対幕府や対伊達を見据えた防衛として前田慶次をここに配置したと考えるのが自然ですね。その裏付けのひとつに、西に流れる羽黒川の先は上杉景勝の命令によって作られた南北約1kmに渡る巨大な砦の跡(現、米沢市下花沢)になっていて、選りすぐりの下級武士が居を構えた武士町です。前田慶次はこれらの大将として、ここからその砦が作られる様を見ながら、敵が城下に侵入しないか見張っていたことでしょう。ここの松の下は風がよく通って、とても気持ちが良いです。今でも、名馬松風に跨った慶次がここにいるようにさえ感じます。山の中腹には前田慶次の墓とされる場所と、親友・志田修理の墓もありますので、慶次ファンの方は合わせて訪れてみると良いでしょう。
一度だけ行きましたが、道らしいのは無く不便ですね。
名前 |
月見平 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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米沢の中でも非常に感慨深く、ある意味一番印象に残った場所です。