歴史の息吹、法勝寺跡で発見!
法勝寺 金堂跡(基壇部推定地)の特徴
白河天皇が造立した歴史的な六勝寺の一つです。
大規模な盛土状の遺構が魅力的な史跡です。
京都市左京区に位置する貴重な文化財です。
1086年院政を始めた白河天皇が造立した、六勝寺の一つ法勝寺があった場所です。
1077年に白河天皇が作った痕跡があるそうですが、外からは何も見れませんでした。
二条通の北側に残る大規模な盛土状の遺構。二条通南側の京都市動物園敷地にあった、法勝寺八角九重塔の基壇跡(”塔の壇”と呼ばれ、遊園地付近にあった。敗戦後、動物園を接収した米軍によって、残っていた盛土部分が削平されてしまい現存せず。)から真北方向に位置しており、法勝寺金堂の跡と推定されている。
名前 |
法勝寺 金堂跡(基壇部推定地) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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京都市左京区岡崎法勝寺町16にある法勝寺の金堂跡があります。岡崎動物園の観覧車🎡の辺りに9重の塔があり、道路をはさんでその北側に現在伊地知家が立っている場所が金堂のあった場所です。高い石垣が積まれています、伊知地家は、一つ裏側の通りに立派な門構えの入り口があります。この地は、平安時代の後期、白河と呼ばれ、天皇が建立した寺院が大伽藍を並べる地域でした。その最初は、白河天皇が藤原師実から別荘地を譲り受け、1075年(承保2年)に造営を始めた法勝寺です。法勝寺には、金堂、五大堂、講堂、阿弥陀堂などが建ち並び、約四町という広大な寺域を誇っていました。また法勝寺には1083年(永保3年)なると、高さ約80メートルという当時の高層建築である八角九重塔が建立され、東国から京へ入ってくる人へその威容を誇っていました(現存する日本最大の塔は東寺の五重塔:高さ55メートル)。また、白河には他にも次々と天皇の寺院が作られ、六勝寺(法勝寺、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺)と総称されました。しかし、文治元年(1185)の大地震で法勝寺の諸堂の大半は倒壊し、八角九重塔もかろうじて倒壊は免れたものの垂木はすべて落ちるという状態でした。承元2年(1208)には落雷で八角九重塔も焼失し、この時は一部再建されましたが、康永元年(1342)の火災で残る堂舎も焼失しました。第72代天皇になり、その後上皇となり、子供、孫の天皇の時代まで、院政を開始した白河上皇は、現在の岡崎の地に強大な権力を集中させ、新たな政治の拠点とする計画都市を作り上げました。法勝寺は「国王の氏寺」とも呼ばれ、ここに八角九重塔という巨大なシンボルタワーを造ることで、平安京に住む人々にその威勢を誇ったと考えられます。また、東国から都に入った旅人の目にも真っ先に八角九重塔が飛び込み、当世一の権力者の居場所を示したことでしょう。八角九重塔は、白河上皇の権力を象徴するモニュメントでもあったのです。ちなみに西国から来る人は、東寺を目掛けて京に入ったといいます。アクセスは、地下鉄🚇東西線蹴上駅下車し、疏水沿いに西に10分にあります。JR「京都」駅 市バスターミナルA-1番乗り場、又は阪急「京都河原町」駅・京阪「三条」駅から5号系統「 銀閣寺・岩倉」行きバスで「岡崎法勝寺町」下車すぐ前。名神高速道路京都東ICから府道143号経由、車で約20分。