高輪台から白金台へ、お地蔵様の歴史散策。
元禄今里地蔵尊の特徴
4の付く日に楽しめるご開帳が魅力です。
高輪台から白金台の道沿いに位置しています。
昭和20年に移設された歴史あるお堂です。
4の付く日にご開帳。今日は今年の初開帳かな?
高輪台から白金台に抜ける道を歩いていくと見かけるお地蔵様を納めたお堂。もともとは神輿蔵らしい。2005年に撮影した写真を掲載しておきます。
戦災復興の道路計画によって、昭和20年(1945)に、旧地より三田用水の跡地である現在地に移ってきたもので、神輿倉の中に小さなお地蔵様がしまわれています。毎月4のつく日に御開帳されるそうです。なお、この近辺には三田用水の跡がいくつか残っています。
| 名前 |
元禄今里地蔵尊 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.minato.tokyo.jp/takanawakyoudou/digital-archive/photo/archives/886.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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江戸中期元禄六年建之銘。光背型 合掌 地蔵尊立像。後述するが,発見時点で既に下半分は失われており,台座部分は後から付け足したものだそうである。江戸中期元禄年間とはあるが,その経緯はハッキリとしていない様である。ただ,地蔵尊正面右手に「爲荷…」と刻むところ,…部分が削れて読めないが,これを「爲荷駄道中安全(荷駄の道中安全ため)」等と考えれば,江戸時代に栄えた品川海岸東海道沿い付近の輸送業者によって,道中の荷駄の安全を願って建てられたものだろう,と邪推できる。『みなとっぷvol.30』『高輪地区情報紙2009年3月別冊』によると,この地蔵尊は,大正四年に五反田田圃(上大崎一丁目)の畦道に放置されていたものを鈴木正一氏が発見。地元有志等を募り,親睦会を結成し,白金今里町90番地にこれを祭り直したのだそうである。そして,戦後復興期の昭和二十年,環四の道路計画によって現在地に移動されたという。