家康母の傳通院、歴史を感じる場所。
德川家康生母 於大方墓の特徴
徳川家康公の生母、於大方墓がある霊域です。
出家して傳通院と称した歴史深い場所です。
3姫のお練りが行われる特別な墓地です。
3姫のお練りがありました。
家康のお母さんの墓。区指定史跡。墓石の側面には「慶長七年」「八月二十九日」「伝通院殿容誉智香大禅定尼」と刻まれている。この寺の名前の由来だそうである。
名前 |
德川家康生母 於大方墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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徳川家康公の生母、出家して「傳通院」と称しました。遺骨がこの地に葬られ、この地に建てられた当寺も「傳通院」と名付けられています。徳川家康公の父である松平広忠とは、実家が敵側となり離縁されてしまいますが、その後も家康公と便りを絶やすことがなかったと言います。また、桶狭間の戦い後、徳川家康公が岡崎で独立した際には、母親として迎えられています。ここまでなら美談ですが、兄である水野信元は敵方の内通を疑われ、信長の命を受けた息子の家康公に自害させられ、実家の水野家は滅亡。また、再婚相手の久松俊勝は、兄の水野信元の死に責任を感じて松平家から出奔してしまっています。傳通院の墓所には、千姫のお墓があり、家光の正妻である鷹司孝子のお墓もあり、不幸な曾孫や曾孫の嫁を受け止めている感じがしています。