静岡の歴史感じる清見寺。
清見寺の特徴
徳川家康公の教えを受けた、歴史深い寺院です。
名勝の清見寺庭園が美しく手入れされています。
伽藍には五百羅漢像や鐘楼があります。
お庭が大変素晴らしかったです。五百羅漢もいろんな姿のお坊さんがいて面白かった。五百羅漢を上から見ようと階段を登ってみると晴れた日は駿河湾、興津港、伊豆半島まで臨める絶景が見れました!感動しました。
鎌倉時代よりの古刹です。徳川に縁あるお寺です。拝観料¥300でした。少し説明を聞き自由に拝観できます。庭園も見事です。書院は明治天皇玉座の間も間近で見られます。少し高台にあり、港や海がみえます。駐車場から山門前の間を、東海道線が分断していますを。
境内を東海道線が通るという他ではなかなかない光景。もちろん、お寺の方が先にあったんだけど。山門、総門、鐘楼、大方丈と見どころ多し。臨済寺と同じく家康手習の間があり、歴史を感じます。帰り際に東海道線が通過したので写真を撮ってみました。
駐車場から石段を登り総門をくぐると清見関の鎮護として、奈良時代に創建された清見寺があります。今川家の人質だった家康が幼少期に使用した「手習いの間」等あり見どころ満載のお寺です。御朱印頂きました(^^)/
静岡へミュージカル見に行った時に、帰り道に発見した清見寺さんへ今月旦那を連れていってきました🙋実際に起こった悲劇の時の床を、天井に張り付けた『血天井』を見たくて☝️この日は法要が行われていたので、静かに見学をさせていただきました☺️天井は赤黒く、当時の凄惨さを物語る見映えがありましたょ😵家康公幼少期の学び部屋や庭園など、色々見処があり偶然に見つけたとはいえ、歴史のあるお寺は違うなーと感じました😄😄😄御朱印も頂けますが、直書きを希望の方は、本堂を見学させていただく時に預けてから廻ることオススメします(書き置きもあり)
古くは清見ヶ関としての歴史から始まった。唐破風屋根の玄関の天井は梶原景時の血天井。交通の要衝で清見寺自体も琉球王国の慶賀・謝恩使、朝鮮通信使らの接待に用いられた。庭は国指定名勝だが、私が訪れたのが静岡豪雨の翌々日ということで、その庭園は土砂に埋もれてしまっていた。1日も早い復旧を願う。
徳川家康公が幼少期、今川氏の人質として駿河にいる頃、当時の住職、雪斎禅師に教えを受けていた寺院。家康の勉学部屋も残されており、柱、欄間、床、違い棚は当時のまま残っています。1300年の歴史があり、明治時代には、皇太子時代の大正天皇、昭憲皇太后をはじめとして、皇室の方々のご訪問が相次ぎました。 また、夏目漱石、島崎藤村、高山樗牛、北原白秋、与謝野晶子など、多くの文人詩人も清見寺を訪れ、あるいは作品にも書き綴っています。一見の価値あり。
拝観終了の16時を過ぎて到着したため、庭園は拝観出来ませんでしたが、境内の蓮の花は手入れが行き届いていて気持ち良かったです。高台からの景色を、朝鮮通信使になったつもりで眺めるのも楽しいです。
徳川家康さんの位牌や天皇の位牌が奉られているとのこと。浜松の龍潭寺と同じくらいの庭園があった。他にも玉座の間など見どころのある寺だった。
| 名前 |
清見寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
054-369-0028 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
〒424-0206 静岡県静岡市清水区興津清見寺町418−1 |
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清見寺にお参りします 清見寺は650年に天台宗の寺として創立されます。現在は臨済宗です。戦国時代、戦火で焼け落ちますが今川義元の支援を得て参謀の太原雪斎が復興。天文19年(1549年)頃、松平竹千代(後の徳川家康)が滞在したことでも有名です。このため右奥に家康手習いの間があります。その後、桃山時代には豊臣秀吉が豊穣征伐の際に利用したり、江戸時代に朝鮮通信使が立ち寄ったりします。また、琉球王子がここで病死埋葬されたりしました。駿河湾を望む風光明媚な高台にあるため、室町時代には雪舟が、明治時代には夏目漱石や高山樗牛、島崎藤村が訪れています。臥龍梅は松平竹千代(後の徳川家康)の手植えとのこと。