静寂の中、歴史を感じる観音寺。
観音寺の特徴
1611年に創建された長福寺からの歴史を感じる寺院です。
美しい築地塀は谷中のシンボルの一つとして知られています。
赤穂浪士とゆかりのある、特別な文化財があるお寺です。
静かなお寺でしたサンスクリット語の御朱印が気になっていて静岡から参拝させていただきました本堂の左手にある建物の中で声をかけると若めの男性2人が対応してくれました。とくに封筒や袋は無く、御朱印をそのまま貰いました。スワロフスキーがついてるので帰路で取れてしまわないか気になる方はファイルや封筒を持っていくといいと思います( ¨̮ )
樹木葬のお墓があるのでお参りしました。左奥の入口から入ると、一組200円でお線香が購入でき火もつけてくれるので手ぶらでOKです。そこで御朱印も頂けて、季節ごとに変わるみたいで切り絵のようで素敵です。
朝倉彫塑館を出て谷中霊園に向かう途中にある 観音寺 さんの 築地塀 が今回一番楽しみにしていた文化財です。以下、観音寺HPより観音寺は徳川家康が江戸幕府を開いて間もない慶長十六年(1611)に創建された、奈良県桜井市初瀬にある長谷寺はせでらを総本山とした真言宗豊山派の寺院です。江戸時代の区画整理によって延宝八年(1680)に神田から現在地に移転し、以来谷中寺町の一角を形成しています。現存する 築地塀(つきじべい)は幕末の頃に作られたもので、国の登録有形文化財に指定されており、谷中のシンボルの一つとして多くの方に親しんで頂いております。また、観音寺は赤穂義士ゆかりの寺と知られ、境内に四十七士の供養塔があり、『忠臣蔵』のファンの方など、数多くの方が当寺を訪れています。観音寺門前の道は、不忍池からひぐらしの里(日暮里)まで通じる、いわゆる「谷中のみち」で、江戸時代には文人墨客や粋人たちが、四季おりおりに杖をひいたと言われ、現在でも江戸情緒の残る谷中・根津・千駄木を「 谷根千やねせん」と呼び、多くの方が観光を楽しんでおられます。
この辺には真言宗のお寺がいくつかありますね。八十八ヶ所巡り以外は御朱印をもらえないところもありますけど、こちら観音寺は二種類の御朱印をいただけます。今回は「阿」を書き入れてもらいました。敷地は大きくないですが東屋らしい休憩場所もあります。赤穂浪士の供養塔もありました。
1611年に創建された寺。創建時は神田にありましたが、数回の移転を経て1680年に現在地に移転。赤穂浪士ゆかりの寺として 知られています。赤穂浪士四十七人士の中の近松勘六と奥田貞右衛門の兄が当時の観音寺第六世朝山和尚(文良)の弟です(近松が兄で奥田が弟)。朝山和尚は二人に対して便宜を図り、赤穂浪士の会合がこの寺で度々開かれたと言います。討ち入りの際、勘六は「今日の仕儀勘六喜んで身罷ったと、長福寺(当時のこの寺の名前)の文良にお伝え下されたい」と遺言しました。赤穂浪士の討ち入りの後、彼らの供養塔が建てられて今に至ります。
築地塀は幕末に作られ谷中のシンボルの一つで登録有形文化財に指定されている。赤穂浪士討入りの会合にもよく使われ、討入り後には赤穂浪士供養塔が建立される。奈良の長谷寺を総本山とした真言宗のお寺。
台東区谷中にある1611年に神田で開山後に谷中に移転築地塀で観光名所となっているお寺最初は長福寺と名乗っていたが徳川八代将軍吉宗の長男が長福という名前だったため観音寺と江戸幕府より改称させられたまたここで修行していた文良の兄と弟が赤穂四十七士だったため赤穂浪士とゆかりの寺と言われている文良は当寺の第六世朝山大和肖である。
御朱印頂きました。御本尊(大日如来)のほかいつくか種類があります。丁寧に対応していただきました。
上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場第32番。御府内二十一ヶ所霊場第3番。御府内八十八ヶ所霊場第42番。赤穂浪士ゆかりの御寺サンで、境内には供養塔もあります。とても素敵な御朱印イタダキマシタ!寺務所に用意されている申込用紙に記入して、お願いする手順です。境内には数台停められそうですが、檀家サン専用…かな?
| 名前 |
観音寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3821-4053 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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寺院不大。安静祥和。一个主殿、一个护殿。一棵大樟树、两枚护塔。落ち着いたところだった。