十二所神社と七所神社の合祀体験。
| 名前 |
十二所神社 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://www.aichi-jinjacho.or.jp/search_detail.html?id=220e9744-0acb-4d0d-b9c9-af49c00dcbaf |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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今は十二所神社と七所神社が合祀されている。神尾の七所社とも千音寺の七所社とも近い。マンションや住宅街に囲まれた一角にあり、かなり狭いが、鳥居は300mほど南にある。明治時代の地図を見ると、砂子村の東端にあり、村の南端からずっと参道が続いている。敷地は広くないが、参道の長さが目を引く。「愛知県神社名鑑」によると、こちらの祭神は天神七柱、地神五柱。天神七柱は天地開闢に現れた七組の神で、地神五柱は神武天皇の前の五世代の神だ。天神七柱と地神五柱は「日本書紀」と「古事記」でラインナップは異なるが、「日本書紀」では以下となる。天神七柱1.国常立尊(くにのとこたちのみこと)2.国狭槌尊(くにのさつちのみこと)3.豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)4.泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)5.大戸之道尊(おおとのぢのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)6.面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)7.伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)地神五柱1.天照大神2.天忍穂耳尊3.瓊瓊杵尊4.火折尊5.鸕鶿草葺不合尊どこかの大規模神社にでも祀られていそうなラインナップだが、十二所社というのは全国にあり、大きな社から小さな社まで、およそ祭神はこのメンツなので、古くから慣習的に祀られているのかもしれない。熊野十二権現が十二所社になった場合も同じ祭神になるようなので、当初は熊野権現を祀ったのかもしれない。扁額は十二所神社と七所神社の両方が掲げられているが、いま神社庁に登録されているのは十二所神社だけのようで、七所神社は完全に消えてしまっている。創建は社伝によると、702年。「尾州徇行記」によると勧請は大宝3年(703年)、再建は寛永3年(1626年)とあり、式内社になっていてもおかしくない古さだ。ただ、703年となるとこの辺りは海と陸地の境界線あたり。2Kmほど西に式内社の藤嶋神社があるが、ここは藤嶋という島になっていたというから、この辺りも海だったのかもしれない。地名が砂子で、すぐ東に庄内川が流れているので、庄内川の砂州に作った可能性もあるが、「古事記」も「日本書紀」も完成していない時代に、どこから十二柱を勧請してきたのか。熊野権現でさえあったかどうか分からない。妄想すれば、703年は熱田から七社を勧請し、1626年に熊野十二権現を合祀したのではないだろうか。この周辺の七所神社が全て熱田からの勧請なので、その可能性は高いと思う。ただ、703年となるとまだ八剣宮も出来ていない時代。その時代の熱田七社とはどういう顔ぶれだったのか、記録が全く残ってないのが惜しまれる。