樹齢600年の御神木、静寂を感じる。
麻賀多神社奥宮 (船形麻賀多神社)の特徴
奥宮は雰囲気があり、静かな落ち着きを感じられます。
美しい紅葉時期には、もみじが特に印象的です。
御祭神は稚日孁命で、289年に創建された歴史があります。
樹齢600年の御神木はなかなかの存在感があります。御朱印は以前来た時は書き置きのものが置いてあって、お賽銭箱に料金を入れる形でいつでも受け取れたようですが、先日行った時はそれがなくなっていて、特定の日でのみ、受け取れるように変わったようです。御朱印目的の方は事前にHPでチェックしておいた方がよいかと思います。駐車場は表の鳥居から道路を挟んで向かいにありますが、「麻肩神社」の表示が小さかったので最初近隣の幼稚園の駐車場かと思い通り過ぎてしまいました。
麻賀多神社の創建年代は不明です。祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)です。天照大御神の子、あるいは妹で、神衣を織る女神です。麻賀多神社は、式内社です。成田市内台方区稷山と、ここ船形区手黒の二社あります。台方神社は稚産霊神を、船形社は奥の宮で稚日霊神をお祭りしています。参道右手に4世紀に築造された印波国造伊都許利命(いんばのくにのみやつこ いつこりのみこと)の墳墓と伝えられている古墳があります。古墳は一辺が約35m、高さ約5mの方形墳です。
令和6年9月1日に参拝させていただきました。神社向かいの幼稚園と共有の駐車場に車を停めてから向かいました。鳥居前にて一礼、数十メートル参道を歩いて、再び鳥居前にて一礼、手水舎にて心身を清めてから拝殿、本殿裏にて挨拶、日頃の感謝、お願い事を伝えさせていただきました。御神木の前で深呼吸をしてから、御朱印をいただいてから帰宅の途につきました。御朱印は時間が掛かるとの書込みが散見されますが、待った分、自分では書けない達筆な御朱印を授かりました。
小高い丘の中にひっそりと佇む船形麻賀多神社。さほど広い神社ではありませんが見所が多く素敵な神社です。御朱印は毎月1日と15日。15日は直書き対応もしていただけて有難いです。駐車場はお隣の幼稚園と兼用ですが、とても広く停めやすいです。
麻賀多神社参拝後奥宮参拝🛵奥宮は雰囲気があってとても落ち着く感じでした😊緑のもみじも綺麗だったけど絶対に紅葉時期は綺麗🍁駐車場あります!助かります!
台方にある麻賀多神社の奥宮になります。台方から車で約7分ほどです。駐車場は神社目の前に、隣の幼稚園と共有の駐車場があります。手前はカーブなのでスピードは出さないと思いますが、時間帯によっては園児の送り迎えと被るので車で行く人は注意です。麻賀多神社奥宮は、もみじの木が多い印象なので紅葉の季節は本当に楽しみですね。また、境内なのか隣地なのかはわかりませんが、初代印波国造の伊都許利命の墳墓があります。いわゆる古墳で発掘調査もされているようです。しかも、発掘時に出土した石蓋が置かれ、石棺が見えるように祠もおかれお参りできるようになっています。石蓋には触らないようになどの注意書きが無かったので触ってきました。最高です。
船形の麻賀多神社は、台方の麻賀多神社の奥津宮です。式内社(平安時代に官社として認定された神社)で歴史のある神社です。境内は夏は緑、秋は紅葉がきれいなところです。神社の駐車場は神社向かいにあり、近くの幼稚園の駐車場と一緒になっています。
2022/7/25カーナビだと住所がズレていて、田んぼに案内されてしまうので、Googleでナビしたほうがいいかも。もともと古墳で、麻の歴史とはちょっと違う、船形地区での神社というような感覚でした。拝殿の梁の龍神様が、こんなところにあしらわれているなんて珍しいと思いました。左手側の広場に、カエルやチョウチョやトンボなど、生き物がいっぱいいて宮崎アニメのような、自然豊かな空間で癒やされました。
歴史を感じる神社です。手水鉢は安永4(1775)年、寛政12(1800)年、石灯籠には安永4(1775)年、寛政10(1798)年の年号が刻まれていました。石を運んでから作ったのか?ここまでどうやって運んできたのかと思いました。
名前 |
麻賀多神社奥宮 (船形麻賀多神社) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0476-93-8034 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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麻賀多神社(まかたじんじゃ)。千葉県成田市船形。式内社(小)麻賀多神社の奥宮、旧村社。主祭神:稚日孁命(わかひるめのみこと)資料によると、創祀年代は不詳。社伝によると、日本武尊東征の折、大木の虚に鏡をかけ、根本に七つの玉を埋めて伊勢神宮に祈願。応神天皇の御代、伊都許利命(いつこりのみこと)が、印旛国造として当地に来たおりに、夢の告げにより、稚日霊命の霊示をうけ、大木の根本から玉を掘り出して霊代として、麻賀多神を奉斎したのが創祀。後、推古天皇十六年(608)に、伊都許利命八世の孫・広鋤手黒彦が、稷山(台方)に社殿を造営した。よって、当社(船形)は、麻賀多神社の奥宮(あるいは元社)にあたり、台方の麻賀多神社を大宮という。とあります。