関ケ原の歴史を散策しよう!
古渡城址の特徴
古渡城址では歴史的背景を感じられる場所です、特に山岡景友の栄光が伺えます。
敷地内には空堀や土塁などの遺構が残っており、散策に最適です。
住宅地の中に溶け込んだ古渡城址の遺構は、探索の醍醐味を提供します。
周囲を散策すべし。
わからないっす?興味ある方は、現地来てみて下さい。掲示板に詳しい内容が書かれていました。⛩️
遺構の多くは、住宅地にのみ込まれ、確認できませんでしたが、ところどころに空堀や、土塁が残存しているようです。歩いて、注意深く観察する価値がありそうです👆なを、近くの小野川は、風光明媚な場所で、茨城百景のひとつです☺️
名前 |
古渡城址 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ

慶長8(1603)年、関ケ原の戦いで勲功があった山岡景友が古渡一万石を拝領し築城したが、景友はすぐに死去してしまった。次に城主となったのが丹羽長秀の子・丹羽長重。丹羽家は西軍についたため改易となっていましたが、父長秀の名声のおかげなのかどうか、大名に復してのこととなります。元和8(1622)年、丹羽氏は奥州棚倉五万石に転封となり、古渡城は廃されました。丹羽長秀といえば織田家の重臣で、豊臣性とする前の秀吉がお願いして、柴田勝家から柴を、丹羽長秀から羽を一字づつもらって、羽柴秀吉と名乗ったものでした。さすがは人たらしの秀吉ですね。遺構はほぼ消滅していますが、城であったのはごく短期間の年数でもあり、城というより小規模の館や陣屋であったと考えられます。城跡には弁財天が鎮座まします。