海沿いの背水の陣、柴崎城跡。
柴崎城跡の特徴
タラの芽採りの帰りに立ち寄れる便利な場所です。
海沿いに位置する中世の砦としての歴史があります。
安東氏の三段構えの城の一つで見応え十分です。
2022年6月12日に見学しました。現在、城跡には、神明宮が建っています。永享4年1432年、安藤氏は、南部氏に攻め込まれ、蝦夷島に逃れました。安藤氏は、室町幕府に仲裁を申し出て、調停が上手く進み、十三湊を奪還します。しかし、嘉吉2年1442年に再び南部氏の侵攻を受けます。安藤盛季は、南部義政を防ぎ切れず、嘉吉3年1443年に福島城、唐川城を捨て、蝦夷島に撤退します。その際に最後に立ち寄った場所が、ここ柴崎城だと言われています。松前藩の家記である「新羅之記録」によると、盛季の子康季は、津軽奪還戦の最中に病没し、孫の義季は、討ち死にしました。この時点で安藤宗家直系の血筋は、断絶してしまいます。その後の敗残兵は、深浦方面に退去したようです。種里城の大浦氏と対峙することになりました。
5月の連休中、タラの芽採りの途中に寄りました。
安東氏 三段構えの城(福島城・唐川城・柴崎城)の最後、海沿いにある背水の陣。南部氏に攻められ、ここから蝦夷へと逃れたとされています。入口の道沿いに土塁と横堀のようなものがありますが、それより上側の散策路をしばらく進むも、城らしい雰囲気は感じられず。神社社殿の脇に城跡碑あります。
中世の砦的な山城。
| 名前 |
柴崎城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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柴崎城跡です。現在は神明宮が鎮座しています。