見晴らし抜群!
佐敷城跡の特徴
佐敷城跡から芦北の町を一望できる、素晴らしい景色です。
慶長20年に廃城となったが、中世の山城の遺構が残されている。
石垣技術が非常に優れており、熊本城にも劣らない迫力があります。
こんな素晴らしい場所があるなんて!立派な石垣が残っています。本丸跡からの眺めは最高です。今は城跡の間近まで車で行けますが、築城当時は麓から石を運んでいたんでしょうね。苦労が偲ばれます。高速芦北インターの近くです。道の駅でお弁当を買ってここで食べてみたいですね。
加藤清正のお抱え石工集団、穴太衆の手による超絶技巧の石垣が築かれた城跡。一国一城令のあと廃城にされ、さらに島原の乱の後にも廃城の処置不十分という事で城の破壊がなされたらしい。にも関わらず、この精緻な石垣はどうだ!石垣の角、算木積みがなされる部分は破壊工作が為されたようだが、基礎の部分までは頑丈すぎて破壊出来なかったのではないか。なぜこの城が日本百名城、続日本百名城に選定されていないのかわからない位、立派な石垣の城跡である。城跡へのアクセスは車で三の丸直下の駐車場まで到達でき、本丸までは駐車場から5分から10分である。眺望も素晴らしく、交通の要衝を扼したことがよくわかる全国屈指の名城である。
加藤清正が築いたとされる総石垣の山城駅近くの芦北コミュニティセンターに城の資料があり発掘結果が展示されているので事前に訪問しておきたい二度に渡り廃却が行われたため三の丸あたりに崩れた石垣が見られた本丸は修復されており見事で主郭からの眺望はよい。
見晴らし最高です。石垣も当時のまま。もったいないお城。石原良純さん来城。
芦北ICから佐敷城跡駐車場への道路が最後は少しわかりにくく、グーグルマップを見ながら進みました。割と広めの無料駐車場がありトイレもあります。トイレ前の袋にパンフレットが入っていたのでもらいました。立派な石碑の横から坂道を3分ほど登ると、すぐに石垣が見えてきます。いい感じの城跡に、こんな簡単にアクセスできるところは経験がありません。しかも無料。大概は山城にはまあまあ登っていく必要があるので、歩くのが苦手な人にもおすすめです。現在の石垣は綺麗に修復されたものです。もともと総石垣作りの本丸、二ノ丸、三ノ丸が階段状に配置される堅固な作りでした。加藤清正の重臣が城代でした。薩摩との国境を守る重要な城でしたが、一国一城令で破却されます。しかし破城が不十分として再度 破却されますが、強固な石垣が壊しきれず今日まで残る結果となりました。それを補修した城跡になっています。石段を登って本丸跡へ向かう瞬間は、「空へ」という感じで素敵でした。本丸まで上がると西側が遠くまで見晴らせます。芦北町民総合センター(しろやまスカイドーム)の立派な建物がすぐ下に見えていました。反対の東側も当然ながら見晴らしが良いです。本丸東門跡の一段上には何か石碑が建っていましたが、大権現だけ読めました。二ノ丸跡から本丸跡を見ると広大で、当時としては立派な山城だったことがわかります。二ノ丸東門跡も立派ですが、追手門跡の方にくだると、雑草が延びたままでちょっと可哀想な感じです。東出丸跡にあたる場所まで来ると、正面に見える小道のところでスタートした地点に戻ります。駐車場からスタートして30分くらいで車に戻れました。
山城跡ではありますが、良く整備され割りと楽に登城出来ます。石垣の美しさや本丸跡からの眺めは実に見事です。
アクセス道から駐車場を含め全てにおいて大変整備されています。石垣も素晴らしく見応え十分、本丸跡からの見晴らしも360°パノラマ全てが想像を超える山城でした。おそらく山城クラスでは九州一素晴らしいと思えます。
慶長20年(1615年)の一国一城令で破却されたものの幕府から破却不充分とされ再度破却された城です。その為か城の廻り一帯に大小さまざまな石が散乱しています。以前 保存事業の一環として石垣の修復が行われていて、新しく積み直した部分と昔の部分の色合いが違っていたのですが、時間の経過とともに見た目の違いが全くなくなっています。城址からの眺めは大変素晴らしく、特に切岸の水平面越しの佐敷の街の景観はなかなか他の場所にはない絶景だと思います。
国指定史跡佐敷城跡江戸時代初期の元和元年(1615年)一国一城令によって佐敷城は廃城となり石垣は壊され長く城跡は放置されました。しかし現代、平成時代に入り発掘調査をされ石垣の復元的整備を行い国の指定史跡になっており、大変素晴らしい城跡です。【城跡復元の歴史】昭和54年(1979年)石垣の一部が発見され、平成5年(1993年)から平成13年(2001年)にかけての9年間、発掘調査が行われた。当初は「肥後国絵図」に描かれた三層の天守を再現する公園整備案が持ち上がったが、発掘の結果天守の礎石は発見されなかった。平成9年(1997年)から石垣の復元を中心とした整備が開始されます。平成10年(1998年)3月佐敷城跡は熊本県の史跡に指定され、同年4月佐敷城跡城山公園として公開。平成19年(2007年)11月19日、国の文化審議会が文部科学大臣に対し佐敷城跡を国の史跡に指定するよう答申を行った。翌平成20年(2008年)3月28日佐敷城跡83
| 名前 |
佐敷城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金] 9:00~17:30 [土日] 定休日 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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佐敷城跡は加藤清正が島津氏に備え肥薩国境防備のために築城したもので、島津・加藤両氏の戦いの場となりました。廃城時に壊された石垣などが残り、天下泰平銘鬼瓦など注目される遺物も出土するなど、近世初頭の政治・軍事を理解するうえで貴重な遺跡として、2008年に国史跡に指定されています。現在は「佐敷城」を芦北町が平成5年より発掘調査し、一国一城令によって城が破却された状態の石垣に復元。歴史公園として整備しています。「見張り番」の城だったことからも分かるように、佐敷港や人吉方面に続く山々をここから見渡すことができます。またこの佐敷城発掘の際には、東側追手門跡から「天下泰平国土安穏」の銘のある鬼瓦が完全な形で発見され、西側から出土した桐紋鬼瓦からは佐敷城が豊臣秀吉の重要な要塞の一つであったことがうかがえます。天守跡に置いてあるベンチが良い。ここら昔の人が見た景色を想像してみました。・・・あそこの杉じゃまかな。