藤原秀郷のお墓、歴史を感じる住宅街。
藤原秀郷公墳墓の特徴
平将門を討った藤原秀郷の偉業を知ることができる史跡です。
住宅街のど真ん中に位置し、道の駅どまんなかたぬまにもアクセス便利です。
地元の方々が手入れをしており、訪れる人々を温かく迎えてくれます。
藤原秀郷(ふじわらのひでさと:885年?~991年)は、平安時代中期の貴族、豪族、武将です。秀郷は、下野国の在庁官人として勢力を保持し、唐沢山(佐野市)に城を築きました。天慶2年(939)、平将門が兵を挙げて関東8か国を征圧しました(天慶の乱)。秀郷は甥の平貞盛・藤原為憲と連合し、天慶3年(940)、乱を平定しました。功績により下野国(栃木県)の国司に任じられました。さらに武蔵国(東京都・神奈川県・埼玉県)の国司を兼任しました。墳墓は、直径35.6m、高さ5mの円墳です。
平将門を討ち取った、藤原秀郷のお墓です住宅地の近くにあり、道がせまいので気をつけてください。
2020/8/17ほんとうにここが藤原秀郷の墓なのかどうか・・・とはいえ、なんか感動する。
また行きたいと思います。近くに佐野厄除大師がありました。
案内なし施設の整備もほとんどなし。
藤原秀郷は平貞盛と協力し、天慶3年(940年)に乱を起こした平将門を討ちとり、戦功により従四位下に叙せられ、武蔵、下野の国守に任ぜられました。秀郷公は天暦2年(991年)に没し、東明寺に葬られたといわれていますが、廃寺となり英宝2年(1705年)地元有志が田原八幡を建てました。東明寺古墳や東明が丘とも呼ばれています。以上、とちぎ旅ネットから引用。
看板が中にあり、さらに小さく目立たない。藤原秀郷古墳ほしい。
この偉人のお墓は住宅街のど真ん中にありますが、近くには道の駅どまんなかたぬまがあります。
近所の方が綺麗に手入れしてくださってます。
| 名前 |
藤原秀郷公墳墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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