八万四千体の地蔵が魅せる圧巻の風景。
浄名院の特徴
圧巻の八万四千体の地蔵が並ぶお寺です。
へちま寺として知られ、病気平癒の御利益があります。
歴史を感じさせる門をくぐると、近代的な雰囲気が広がります。
桜満開の時期に、たまたま仕事で行くことがあり、思わず撮りました。薄ピンクのは浄名院の前の公道です。結構名所なのか、家族連れやカップル・外国人いろんな方が桜を見に来てました。屋内にはちょっとしたグッズも販売してたり、喫茶店がありました。
鶯谷駅から徒歩で約7〜8分にあるのでとても便利です。納骨堂の利用ですが、経営もしっかりしているので心配なし。金額も、場所の割に安価な方だと思います。丁寧に管理してくれるし、建物もとても綺麗。帰りは上野公園方面を散策するのも良いかもしれません。
きれいな建物で、さくら浄苑は信徒会館の2階です。一階入口の受付で名前を書き、2階でお参りできます。各部屋の祭壇にお花が生けてあり、お焼香できます。ラウンジが一階にあり、コーヒーやお茶がいただけます。数珠やお守りが少し売ってます。
とにかくおびただしい数のお地蔵様を見ることができます。浄名院の前身である浄円院は、寛文六年(1666) 寛永寺三十六坊の一つとして創建され、享保八年(1783) に浄名院となりました。地蔵信仰の寺となったのは第三十八世地蔵比丘妙運和尚の代からです。妙運和尚は大坂に生まれ、25歳で日光の常観庵にこもったときに地蔵信仰を得、一千体の石造地蔵菩薩像建立の発願をたてました。明治12 年、最初の一千体の願が叶うと、さらに八万四千体建立の大誓願に進みます。明治18年には地蔵山総本尊を建立。各地から多数の信者が加わり、地蔵菩薩像の数は増え続けます。境内にある青銅製の大きな地蔵菩薩坐像は、かつて江戸六地蔵第六番の地蔵菩薩像があった深川永代寺が明治維新のとき廃寺になったのと、日露戦争の戦没者を弔うため、 明治39年新たに建立されたものです。なお、旧八月十五日の「へちま供養」には、せきぜんそくに効験を願う人々で賑わうそうです。
お願い地蔵さん 祖母の頃からお世話になってます いまは本堂にいらっしゃいました ……本堂に入って 左側からあがらせていただいてきました引き続き良いご報告ができるように 精進したいと思います。
江戸六地蔵第6番。この界隈では駐車場も広く、大きな御寺サン。寺務所・本堂にて数種類の御朱印が頂けます。上野らしいセラミック製のパンダの御神籤もあります。
寛文6年(1666年)上野寛永寺36坊の一つとして開かれ四代将軍徳川家綱の母宝樹院の菩堤所となり浄円院と称した。享保8年(1723年)安楽律院となり浄名院(じょうみょういん)と改称した。門は歴史を感じされる作りですがひと度入ると近代的門だけ取り残された感じです。又、境内のお地蔵様は北白川能久親王が十数体造立、徳川、小松、近衛、一条、毛利の旧殿上人、陸奥宗光、大山元帥、犬養木堂また三井、安田の財閥、梨園の花形その他各地の方が造像し今日に続いている。との事で物凄い数のお地蔵様が安置奉納されており数えられる量では無く圧巻です。明治初年神仏分離によって江戸六地蔵六番の寺(永代寺富岡八幡宮の別当寺)が廃寺となり、地蔵尊像も破壊されたので、後に当山境内に江戸六地蔵第六番が再造された。そうです江戸六地蔵の再造(千葉街道に置かれていた)ですが他の江戸六地蔵と同じく大きいお地蔵様です。
東京六地蔵第六番、へちま寺で有名なお寺です。門をくぐると、すぐにお地蔵様が見れます。寄進されたお地蔵様の数が物凄くて、非常に壮観です。お寺の外には、コロナ対策PCR検査の自動販売機があります。ギャップが面白いです。
八万四千体地蔵、圧巻。
名前 |
浄名院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-5832-9511 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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東叡山 浄名院 というお寺の裏手に並ぶ八万四千体地蔵。寺の墓地かと思ったらお地蔵さんが並んでいらっしゃった。