街道沿いの弁財天、お供えが満載!
中沢の弁財天の特徴
街道沿いの小さなお社にお供えが豊富にあり、地域に愛されています。
素木作りの鳥居は時代を感じさせる貴重な存在です。
幸運を願うご利益が評判で多くの人に親しまれています。
街道沿いの小さなお社お供えが沢山ありジモトデ慕われているのがわかる...卵1パックは腐った時が心配w
以前は、素木作りの鳥居で目視しただけで時代を感じる弁財天でした。この鳥居も平成24年には奉賛者の方々によって石造で建立、参道も整備されたことから今度は清らかな弁財天を感じます。鳥居をくぐり参道を奥へ進むと覆い屋根の下に鎮座する弁財天の祠が目に入り、祠の前には神使の白蛇が供えられています。弁財天の近くには市川市八幡地域から東京湾へ流れる真間川へ合流する大柏川(旧 谷地川)があり、祠の奥の水路が大柏川へ流れるように❗このことから湧水を想わせます。手水鉢は天保9年(1838年)9月吉日とあって正面には右三ツ巴の神紋があります。(鎌ヶ谷市中沢196付近、新橋交差点近く)ご承知のとおり弁財天は、その昔、豊富な水の流れあったことで『池に棲む白蛇が女人姿になった』という言い伝えがあり、七福神(恵比寿様、大黒天様、毘沙門天様、布袋尊様、寿老人様、福禄寿様、弁財天様)の中の紅一点で琶を弾く妖艶な姿で現されており、福徳、諸芸能上達の神として広く信仰されています。弁財天は大黒天と同様でルーツは古代インドの水神『サラスヴァーティー』でサラスは『水』を意味し、川がもたらす恵みから豊穣の女神となり、さらさらと流れる河の音が音楽を演奏しているようだとの連想から音楽の神にもなったそうです。また、言葉の女神『ヴァーチュ』と同一視されるようになったことから言葉の『弁』の才に優れた神、更に弁舌・学芸・智恵の女神として信仰されたそうです。因みに弁財天付近には大柏川を利用した広大な田んぼがありましたが、真間川水系の氾濫対策として調整池になることから消滅し、稲作70年の歴史に幕を下ろしたそうです。
名前 |
中沢の弁財天 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
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困ったことがいくつもありましたが、一つずつみんな叶えていただいています。とても大切な弁財天様です。