洞窟の社殿が神聖な霊験。
須佐神社(岩屋宮)(平戸八景:国名勝)の特徴
勝負事や恋愛に強い霊験あらたかな須佐神社です。
明治の計画で移されてきた高天神社を含む摂社が豊富です。
洞窟をくり抜いた社殿の独特な厳かさが魅力的です。
この神社、勝負事に強いと聞いて、何気なくお参りさせていただいていたのだけど、恋愛にもお強いらしい。というか、この神社、御祭神がすんごい強い。荒ぶる神であるスサノオ様に、国を造ったオオクニヌシ様、託宣のコトシロヌシ様に、天の世界を統べる最高神であるアマテラスオオミカミ様、そしてスサノオ様の妻であるクシナダヒメ様に、スサノオ様の娘でありオオクニヌシ様の妻であるスセリビメ様、造化三神のアメノミナカヌシノカミ様、タカミムスビノカミ様、カミムスビノカミ様が祀られています。そう、左手には高天神社があるのです。よっしゃやるぞ、と力漲る感じだけでなく、心が落ち着く感じもあります。
ココも、見た事も無い場所でした。通った事も無い道でもありましたが。ホントに今日は佐世保を探訪する良い機会となりましたね。まだまだ全く知らない佐世保が一杯ですよ、勉強が足りませんね。他のトコ行く前に、もっと地元を掘り起こさないとダメですね。ココは、こじんまりとした感じではありましたが、ちゃんと御朱印の御対応もいただきました。春先は、桜が咲き乱れ壮観らしいですね、日陰でお休み中のお母さんに教えていただきました。鳥居も最近塗り替えされたばかりの様で、非常に綺麗でした。
夏祭りを見に行きましたが、地域の祭りだからと考えてもびっくりするくらいシンプルで、近隣の方の寄り合いみたいな感じでした。楽しそうでしたよ。
人が少ない(失礼!)ので、ゆっくり参拝できます。神官もいらっしゃるので、各種神事も受けられます。神社の石碑の年号から1800年頃にはすでに存在したとみられ、佐世保市の有史より前からある由緒ある神社です。不差洞はすぐ隣にあります(心霊スポットではありません)
佐世保の住宅地の中、取り残されたような丘にある神社。平戸の殿様・松浦隆信公が植えたという樹齢400年越えの槇の御神木には圧倒されます。本殿は洞窟の中にあり、もしかしたら吉井町の福井洞穴のように太古に於いては縄文人の住居だったのかもしれないなと思いました。境内奥には高皇産霊命を祀る高天神社の鳥居と祠、お稲荷様の祠もあり、背後には磐座もありました。おそらく古くから巨石信仰の場でもあったのでしょう。また主祭神として祀られている神々の関係は、なんだがちょっとサザエさんちみたいだなと、ほっこりしました。
「ずいぶん摂社が多いのですね」と 伺うと…明治の佐世保市街化計画によって、山々が崩され、高天町にあった「高天神社」が、こちら須佐神社へ還座されたのだと教えて下さいました。高天町は、かつての「高天神社」が名前の由来であったのだとか。 天照大御神を中心とした多くの神々が住まう、神聖な場所……高天原(たかまがはら)が高天町の由来だったとは。また、天照大御神 の弟でありながら、高天原を追放され 地上で人間と家族を愛した 須佐之男命。 そこへ高天神社が還座されるなんてロマンがあります。須佐神社から頂いた ご由緒書には、冒頭に 「天.地.自然の万物から贈られる生命力…それを慈しむ事こそが神道である」と記されていました。市街地にありながら、神域である洞窟を現存する、穴妙見宮。平戸藩主が、景勝地(平戸八景)の一つに選んだのだそうです。洞窟を囲む木々の間には、かつて海の波によって削られた岩の数々が そのまま残されているのだと伺いました。佐世保の歴史を紐解くにも、大変 貴重な神社と感じました。
佐世保に住みながら、この神社の存在を初めて知りました。洞窟を利用した御本殿。お供えの御神酒が並んでいるところから、参拝も多いのでしょう。 小さな社務所があり、おみくじや御守りもあります。インターホンを押して神社の方にきていただいて、御朱印もいただきました。
御本尊が洞窟をくり抜いたようなところの中に有りました。社務所らしきところには、誰も居られず、御朱印はもらえないかなぁ〜って思ってた所、「ご用の方はボタンを押して下さい」の貼り紙を見つけました。押して見ると坂の下から作務衣らしき衣装を着られた女性が来られて、無事に御朱印も貰えました。
御朱印あり。足下に注意して歩きましょう。
名前 |
須佐神社(岩屋宮)(平戸八景:国名勝) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0956-23-3657 |
住所 |
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HP |
https://www.city.sasebo.lg.jp/kyouiku/bunzai/documents/hiradohakkeisaisin.pdf |
評価 |
4.1 |
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霊験あらたか⛩駐車場は素直に鳥居をくぐるべき。