歴代藩主の荘厳な墓所、思索の場。
萬松院(万松院)の特徴
対馬藩主・宗家の菩提寺として名高く、歴史を感じる場所です。
美しい石灯篭が並ぶ階段を昇り、荘厳な雰囲気に包まれます。
ゴーストオブツシマのロケ地としても知られ、多くの観光客が訪れます。
歴代藩主のお墓ということで、おごそかな雰囲気があります。階段はキツイですが、上まで行くべきですね。
オフィシャルによると1615年に宗家20代義成が父の冥福を祈って創設した寺で以降は宗家累代の菩提寺となったらしいけれど、一回焼け落ちて今の本堂は1879年に新設されたものらしい。こんな辺境の地といえば辺境の地なのに歴代徳川将軍家の大位牌が並んでいたり、朝鮮国王から贈られた三具足が本堂の片隅にしれっと展示してあったり、地味にすごいお寺さん。拝観料は大人一人300円です。現金のみ。百雁木と呼ばれる階段は貴船神社を思わせる荘厳な雰囲気、奥の樹齢1200年という杉の木も圧巻です。駐車場あり。
ツアーで訪問。132段の石段を登れば、御霊屋。入り口に、軽量のつえがあります。ノルディック・ウォークのように両手を使えば楽チンです。
国境の島、対馬。宗さんの外交手腕、前線に立ち常に板挟みとなりながら荒波にのまれつつ逞しい、ドラマチックな歴史に乾杯!今の政治、経済、サラリーマンにもつながる知恵あり!外務省職員知ってますか?古文書に記録、知の蓄積、言語のみならず文化教育の徹底。宗家は対馬藩主。朝鮮との交易で栄えた外交のプロ。秀吉の朝鮮出兵により、事もあろうか、宗家に道案内を指示。歴史の波に呑み込まれていく。秀吉の死後、家康の世となり、ようやく戦後処理。これまでに築いた朝鮮との関係はズタボロ。関係を取り戻すため、国書の偽作までやってのける。朝鮮側が徳川政権から国書を送るように要求してくると、国書を偽造して朝鮮へ提出。江戸を訪れた朝鮮側の回答使の返書も、先に偽造した国書と辻褄が合うよう改ざん。家臣密告により、バレて裁判。柳川一件。関ヶ原でも宗家は西軍について、奥様が小西行長の娘だったし。徳川から冷遇されても然りなのに、朝鮮とのパイブ、外交スキルが重用されたのですね。対馬にとって、国交回復できるかは死活問題。日本使節団が居留する「倭館」を釜山に。使節団が将軍に国書を持ち江戸に来るとなれば随行、おもてなし。是非ガイドさんの説明を聴いてください。【あっちゃん】
対馬藩の大名家、宗一族の墓所。朝鮮国王からの銅製三具足などがけっこう手近な感じで置いてある。盗まれないかちょっと心配。墓所へはかなり石段を登るが、上がりきった一族墓所は巨大な石塔がたくさんあり壮観。これだけのものが残っていることは本当に素晴らしい。
対馬藩主宋家の菩提寺で、金沢の前田藩菩提寺、山口の毛利藩菩提寺と並んで三大菩提寺だそうだ。実際、その歴史、広さ、大きさなどは見事で、朝鮮半島と近いこともあり交流が盛んで、送られたお宝もあるそうだ。栄華を極めた20代藩主 義成が父 義智のために1615年に創建したそうだ。そのためか墓石は特に大きく、奥まった所にあった。山門は安土桃山時代からのもので、対馬最古の建造物。階段状を上った先にある大杉も樹齢1200年と言われ、対馬一の樹齢らしい。132段とも言われる階段を上る必要があるが、その歴史と雰囲気を是非ともあじわって欲しい。訪れる価値は十分あると思う。拝観料は300円。お寺の前に10台程が停められる広場があり、トイレもある。
宗家代々の菩提寺。巨大な三本杉や灯籠階段など、ゴーストオブツシマの雰囲気そのままの荘厳さ。一度は訪れるべき。
ここは忘れられない。対馬藩宗家墓所なのですが、あの階段はなんとも言えない。閑静。歴代藩主とその奥方、それぞれ2つづつ墓石が立っているのですが、あの宗義智だけは本人分ひとつしかない。涙しました。奥方だった小西マリアは関ヶ原でも有名な小西行長の娘だったため、離縁させれらたと。そのマリアは長崎で病没後、墓所からそう遠くない厳原八幡宮に祀られています。
ばんしょういん、とお呼びするようです。1615年建立の古刹で、鎌倉時代から明治初期まで対馬を支配した豪族、宗家累代の菩提寺です。この陵墓の規模は加賀の前田藩、長州の毛利藩など大藩のそれに匹敵するそうです。当時は領内で生産される米の量で大名の格付けがなされていました。米の生産がほとんどない対馬はかなり格下のはずで、このような規模の陵墓はその格式にそぐわないように思えます。ところが、宗氏が朝鮮との外交・貿易を扱っている功績から、幕府は10万石格を認めていたのです。宗家の格式は意外と高かったのですね。
| 名前 |
萬松院(万松院) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0920-52-0984 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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うまくフィルターをかけて写真を撮れば映えると思います。歴史を感じられてよかったです。徳川家歴代将軍の位牌もありました。