深谷宿本陣跡で歴史を感じて。
中山道深谷宿飯島本陣跡の特徴
大河ドラマ『青天を衝け』に登場した歴史的本陣跡です。
かつての中山道・深谷宿の賑わいが感じられる場所です。
現存の飯島家が位置する、重要な史跡となっています。
内部を見学出来ないかなーと佇んでいたところ、たまたま家の方(飯島印刷の方?)が出ていらして、内部は見学出来ないけど、パンフレットならありますよ、とパンフレットを下さいました。
大河ドラマ『青天を衝け』第10回、和宮が江戸へ向かう際泊まったとされる本陣。深谷宿は中山道でも有数の賑わいを見せてた宿場町、血洗島の栄一も和宮の行列の手伝いで深谷宿まで駆り出されるがどこか不服。
是非、内部の公開をお願いしたいです。
中山道でも有数の賑わいを誇ったといわれている深谷宿の本陣跡です。江戸を出立して二日目の宿に丁度よかった、というロケーションもあったようです。深谷宿には大名専用の本陣に加えて、サブの役割の脇本陣が4軒、庶民の宿である旅籠が約80軒余りあったそうです。当然、それ以外にも飯屋や様々な品物を取り扱う店もあり、当時宿場町の人口は1
中山道でも有数の賑わいを誇ったといわれている深谷宿の本陣跡です。江戸を出立して二日目の宿に丁度よかった、というロケーションもあったようです。深谷宿には大名専用の本陣に加えて、サブの役割の脇本陣が4軒、庶民の宿である旅籠が約80軒余りあったそうです。当然、それ以外にも飯屋や様々な品物を取り扱う店もあり、当時宿場町の人口は1,900人余りだったそうです。深谷というと明治以降の赤レンガの町というイメージが強いですが、それ以前からも賑わっていたのですね。認識を改めます。
かつての中山道・深谷宿の本陣・飯島家。本陣は当初、深谷氏の遺臣であった田中氏が務めていたが、当主の病弱を理由に本陣職の辞退を願い、1756年(宝暦6年)より武田氏遺臣の飯島氏が務めた。飯島印刷店舗の奥に、上段の間(晩翠室)、次の間、入り側、が現存しているそうだが、現状では非公開である。
いま飯島印刷のあるところは深谷宿の本陣跡。本陣も飯島家が営んでいた。
名前 |
中山道深谷宿飯島本陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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深谷宿本陣、跡かと思いきや奥に現存していたのですね…公開を期待したいところです。