漁師町の歴史刻む寄木神社。
寄木神社の特徴
日本武尊と弟橘姫が祀られている神社です。
繊細な鏝絵が見られる文化財の神社です。
町を守る小さな神社として親しまれています。
木更津に渡ろうとした日本武尊が嵐にあった際、妃である弟橘媛が海にその身を投じてその嵐を鎮めたという神話に由来する神社で、日本武尊・弟橘姫が御祭神です。弟橘媛がその身を生贄に捧げて嵐を鎮めた際、この時破損した船の木片が品川浦に漂着し、漁民らがこれを納めて祀ったのが始まりされ、寄木(よりき)神社という名前の由来にもなっています。また、本殿の扉には、もう少し古い神話である天孫降臨をテーマに、伊豆の長八こと入江長八が描いた「鏝絵天鈿女命功績図」が描かれています。「鏝絵天鈿女命功績図」は、品川区の文化財公開にあわせて、毎年文化の日の前後に公開されており、都内では数点しか残されていない伊豆の長八の鏝絵を生で見ることができました。伊豆の長八は神社仏閣で多くの作品が造りましたが、その殆どが関東大震災と戦災で失われています。寄木神社の本殿は石造りの覆屋に大事にされており、このように綺麗な状態で作品が残されたと感じました。本当に素晴らしい作品を大事に当世まで残して頂き、神社の方、地元の方に心より感謝いたします。
2024年1月19日㈮夕暮れと神社。いい雰囲気。初期タイプの狛犬だね。
品川区立聖蹟公園近くにある小さな神社ですが歴史を感じさせ風格があります。しながわ観光協会によれば『慶長年間(1598~1614)創建、江戸名所図会にも描かれてる漁師町の鎮守。境内入口にある「江戸漁業根元之碑」は、随筆家 本山荻舟の撰文により、この一帯の猟師町の歴史を刻んでいます。本殿の扉に描かれた、名工 伊豆長八による漆喰鏝(こて)絵「鏝絵天鈿女命功績図」(こてえあめのうずめのみことこうせきず)は、品川区指定文化財。左扉上部に天照大神(あまてらすのおおみのかみ)、下部に天鈿女命(あめのうずめのみこと)、右扉には猿田彦命(さるたひこのみこと)が描かれています。頭に皿がある珍しい狛犬は「かっぱ狛犬」と呼ばれ、かつては皿の上に蝋燭を立て灯台の代わりとして沖にいる船の目印としたと伝わっています。』とのことです。
荏原神社の管理する神社。2023年5月現在、荏原神社には書置のものは置いていなかった。(荏原神社の書置は置いてあった。)最寄駅は新馬場駅。目黒川沿いに歩くと見えてくる。
東京都品川区東品川、京急本線の新馬場駅徒歩6分の地に鎮座する、公民館隣接の神社『寄木神社』さん。本殿は土蔵造で、その内扉には明治元年頃に作成された伊豆長八の漆喰彫刻『鏝絵天鈿女命功績図』が残されており、通常は非公開だが、11月などに公開される。天孫降臨の場面を表したもので、左扉に天照大御神と天鈿女命、右扉に猿田彦命が描かれている。●社名:寄木神社●住所:東京都品川区東品川1-35-8●造り:土蔵造●御祭神:・日本武尊(第12代景行天皇の皇子、熊襲征討・東国征討を行った武将)●由来:・創建年代は不明、景行天皇の代(BC110年頃?)・日本武尊の妃弟橘媛が自ら生贄となって嵐を鎮めた際、船の残骸の木材が流れ着いたのを祀ったのが起源。・江戸時代、猟師町が現在の南品川3丁目より洲崎に移転した際に、現在地に遷座。・江戸末期に社殿焼失。・1873年、拝殿建造。●御朱印:・荏原神社にて、初穂料300円にて書き置きの御朱印を拝領出来る。・が、コロナ対策で荏原神社自体が書き置きセルフ対応なので、現状では拝領は難しい。
住宅街にある神社です。綺麗に整備されて静かな雰囲気でした。神社の入り口には神輿があります。
こじんまりした落ち着ける神社。
寄木神社。御祭神は日本武尊。拝殿後方にある本殿は石蔵造となっている。
町を守ってくれる小さな神社です。おそらく江戸時代あたりはこのあたりが海岸線だったと思われます。狛犬は一見の価値あります。本当に見落としそうな小さな小さな氏神さまといった感じです。通り抜けができるので、一度おためしください。
| 名前 |
寄木神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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近くに寄ったのでお参りしました。なんとか御朱印をいただきたいです。