高崎山の絶景とハイキング。
高崎山の特徴
高崎山では野生の猿が見られるので、楽しみが倍増します。
整備された道を使って、初心者でも快適に登れます。
田ノ浦ルートからのハイキングは自然を満喫できる最高の体験です。
道がきれいに整備されているので、簡単に登れます。
だいたい子供のころはマリーンパレスに行って高崎山のサルを見るのがワンセットでした。フォナーランドもあったけどすぐに亡くなりました。
高崎山というと野生の猿がいっぱいいるというイメージですが、私が登った時は猿たちは麓の方にある高崎山自然動物園に集まっているのか、まったく見かけませんでした。登山道の方は、道幅が広く傾斜もゆったりしている散歩道という感じで、山というよりは本当の散歩コースのよう。登山道には特に危険な所はないですが、足元は念のため歩きやすいスニーカーや登山靴が良く、また山中には水場もないため水や非常食等の携行が必要です。山頂には3か所ほどの展望所があり、それぞれ前の雑木が伐採されているので見晴らし良好。また適度なペンチやテーブルがあるので休憩や軽食には最適ですが、火を使った調理は匂いで猿を呼ぶため避けた方が良いと思います。
道が整備されていてのんびりと登れます。登山感覚はありません。
程よいハイキング登山道です😊
数年前に整備されてお気軽登山気分が味わえます。 山頂からの景色が素晴らしい。別府側の景色が絶景。
初心者でも、登れますが、山は山ですので、足元しっかりした靴で、登って下さい。ルートや、案内等ありマス!、入山口にトイレ有ります。以外に、下山時に、よく滑ってマス、下山の時ほど慎重に、下山しましょう。
田ノ浦ルートで登りました。駐車場から頂上まで45分くらいでした。
ハイキングコース最高❗️
| 名前 |
高崎山 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
|
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高崎城 ー 大友氏の重要な山城1. 高崎城の概要標高628mの高崎山の山頂 に築かれた山城。「おさるの山」として有名な高崎山(現在は高崎山自然動物園がある)。大分県別府市との境界近くに位置。2. 高崎城の歴史文和4年(1355年)足利尊氏に従った大友氏時(北朝側) に対し、南朝の懐良親王軍 が日田から攻撃。玖珠・由布・挾間を経て、大分の国府を襲撃。大友館(上原館)が陥落 し、北朝の大友氏は南朝に降伏。延文3年(1358年)この敗北を教訓に、大友氏時が急峻な高崎山に高崎城を築城。延文4年(1359年)大友氏が再び南朝に反旗 を翻し、懐良親王軍が高崎城を攻撃。大友氏の一族・志賀氏房が南朝軍の背後を襲撃し、南朝軍は敗走。その後、肥後の菊池武光が懐良親王とともに再攻撃するが、高崎城を落とせず。九州の北朝勢力唯一の拠点 となり、北朝勢力の再興に貢献。天文13年(1544年)〜天文14年(1545年)大友氏の家老・朽網親満が乱を起こし、高崎城に籠城。大友軍がこれを鎮圧し、城を奪還。天正14年(1586年)島津軍の豊後侵攻時、大友義統が敗走し高崎城に逃げ込む。その後、さらに豊前の竜王城へと逃れる。3. 現在の遺構当時の曲輪・堀切・畝状の空堀群が良好に残る。山頂には、江戸時代に築かれた狼煙台(のろし台)の跡がある。4. 高崎城の意義大分県を代表する中世の山城。大友氏の本拠・大友館跡(上原館)と並ぶ重要な遺跡。北朝勢力の九州における最後の拠点として歴史的に重要。まとめ高崎城は、南北朝時代に大友氏が北朝勢力を維持するため築いた山城。九州の北朝唯一の拠点として、南朝軍との激しい攻防が繰り広げられた。天文年間には家臣の反乱、天正年間には島津軍の侵攻と、幾度も歴史の舞台となった。現在も城郭の遺構が残り、大分県の中世山城として重要な文化財となっている。