景色と雰囲気を楽しむ三島塚古墳。
三島塚古墳の特徴
高崎市の指定史跡、三島塚古墳の魅力ある景色が楽しめます。
厚みのある歴史が感じられる、彦狭島王の墳墓との伝説が残る場所です。
深い周掘と広い頂上が特徴的な、魅力倍増の円墳であります。
のんびりしたいときにおすすめ。
彦狭島王の墳墓との伝説が残る三島塚古墳です。彦狭島王は古代の皇族の一人で、日本書紀によると東山道十五国都督に任ぜられ、赴任地に下向した際、春日の穴咋邑で病死し上野国に葬られたと記しています。信憑性が薄く取り扱い注意なものの、先代旧事本紀と国造本紀によると東方十二国を平定し上野国造に任ぜらたと記されています。日本書紀では景行天皇55年の記事である事から中々年代を特定するのが難しいのですが、上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧によると西暦125年になる為、古墳の築造年代である5世紀初頭とは大きく異なります。三島の名称は古墳の頂部に三島神社が鎮座している事が起因として考えられていますが、少彦名命の関連氏族の中には三島県主がいる事から、三島県主の一族が古墳の被葬者で、祖神として少彦名命を祭る小祝神社(高崎市石原町)を奉斎し、後の世に名称が同じという理由で三島神社が勧請されたという考え方も出来ます。三島県主(宿禰)氏は、『新撰姓氏録』「右京神別」によると、天神で、「神魂命十六世孫建日穂命之後也」とある。三嶋 飯粒(みしま の いいぼ、生没年不詳)は、日本古代の6世紀前半の豪族。姓は県主。とあります。
高崎市の指定史跡であり、幅14mの深い周掘を巡らせた直径約60m、高さ5.5mの円墳で、2段に築かれ、規模に対して頂上が広く、高さの比較的低い、特徴のある古墳。表面には茸石が施され、埴輪も配列されているとのこと。過去に石棺が出土したことがあり、明治27年に発掘され、鏡や刀、勾玉などが出が所在不明とのこと。
下段は畑地になってしまっているが、全体の形と上段の墳丘は比較的良く保存されている。上段の基部辺りには葺き石と思われる石が残されており興味深い。
名前 |
三島塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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景色良し、雰囲気よし。