勝連按司の英雄、阿麻和利の墓。
阿麻和利の墓の特徴
住宅地の中にひっそりと佇む、阿麻和利の墓である。
勝連で名を馳せた英雄の墓が存在するとは驚きだ。
両親の地元、読谷村で訪問するも駐車場が確保できず残念だった。
阿麻和利(アマワリ)、屋良大川按司と兼城若按司の子と伝わる。悪政を強いる茂知附按司を倒し、10代目の勝連城按司となる。東アジアとの貿易を進め、大陸などの技術を積極的に取り入れ、当時の琉球で麒麟児との評判が広まっていた。謀反の疑いをかけられた護佐丸を王の命令で滅ぼしたが、自らも謀反の疑いがあると王府より差し向けられた越来賢雄(鬼大城)の軍により攻め滅ぼされたとされる。500年以上前の事で史実の正確さは定かではありませんが、阿麻和利を英雄とした言い伝えも、悪人とする言い伝えもあるようです。現在は読谷村の静かな場所の大きな木の下の岩の中で静かに眠っておられるようです。
ひっそりと住宅街の一角に佇んでいます。大きな木が圧巻です。周りには花壇や簡単な看板があり綺麗にしてあります。
2024年2月11日訪問読谷村の楚辺にある勝連城の城主やった阿麻和利のお墓いわゆる住宅街の一角にあり特に案内もないので場所は分かりにくいお墓は個人の住宅に向かう一本道の脇にありやす、駐車場はないなあ阿麻和利はカルロスの大好きな現代版組踊の、肝高の阿麻和利の主人公で勝連半島の英雄として見直されてやすお墓は大きな岩の下にありその岩にガジュマルの根っこが絡みつき迫力があったさあ。
琉球王国時代王府を脅かす2大勢力護佐丸と阿麻和利。護佐丸の墓は、先日訪れたばかりなので、阿麻和利は何処に葬られているのか気になっていましたが、たまたま読谷方面を散策している時に、阿麻和利の墓を発見しました。特別な観光地扱いの場所でもなく、駐車場も無い、住宅街に岩のくぼみを利用したような質素な作りの墓で、ブロックとコンクリートで壁を覆った簡素な墓でした。歴史的な人物にしては、余りにも墓の存在が認知されて無い事に一抹の寂しさを覚えたのは僕だけでしょうか?
うるま市にオープンした「勝連城跡あまわりパーク」を見学する前に訪問させていただきました。とても丁寧に整備されていました。駐車場が無いためご地元の方に迷惑をかけないよう注意が必要です。
住宅地の中にあるお墓です。虫がいっぱいいますし、歴史に興味がない人からしたらただの他人のお墓なので観光には絶対向かないです。
以前この近くに来たときには、案内表示も何も無かった。こうして大切にされるようになって嬉しい。
いくら中山王に背いたとはいえ、勝連でその名を馳せた英雄の墓とは思えないくらいの細やかなもの。反逆者として同じく滅ぼされた護佐丸の墓とは比較にならないほどで金丸の意図を感じる。
両親の地元読谷村に阿摩和利の墓があると知り訪ねにきたが車が停められなくて目的達成出来ず…。三山時代の英雄の1人がこう言う扱いではいけないと思う。整備すれば観光の1つになり得るかもしれないのに。県や村はもう少し考えて欲しいですね。
| 名前 |
阿麻和利の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.tsunagaru-map.com/bunkazaisenseki/map.html?point=2631 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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2024.12.31勝連按司「肝高の」阿麻和利の墓が、読谷村にあったとは意外であったが、阿麻和利は屋良の大川按司の子と言われており、首里王府との戦いに敗れ、故郷の屋良を頼って落ち延び、更に屋良からも追われてこの地で果てたと言う事らしい。しかしこの墓もラピュタ感が強すぎで結構気に入っておりますw