神宿る里山で歴史探訪。
杉山城跡の特徴
軍神社から険しい東側ルートを登る体験が楽しめます。
備中杉山城址の要害山城跡は歴史ファン必見です。
杉谷の杉山では神宿る里山の雰囲気を味わえます。
東側ルートは未整備で登りづらいよ!西側ルートはロープも張ってあり楽でした。
備中杉山城址別名は要害山城と呼ばれ’神宿る里山・杉谷の杉山’山頂に山城主郭(曲輪)跡が残っている。室町時代の建武年間(1334年~1336年)に小坂越中守によって築城された。その後、戦国時代には城主が毛利家の細川通董(鴨山城主)の重臣の河田紀伊守睦長や毛利元就の家臣、小坂宗右衛門経通の居城となっていた。通董は鴨山城を本城とし周囲に支城を配置していて北東には西知山城、北西にはこの杉山城を築城した。元亀2年(1571年)2月、宇喜多直家が尼子再興軍6000余人の兵を動かし攻め入った城砦でである。通董は侍150騎、雑兵2000余人を従え、必死の決戦を挑んだが、尼子再興軍に包囲され壊滅状態になり山手西郡村(現・総社市山手)の幸山城へ逃げ行った。この戦いで杉山城は落城したものと思われる。*杉山城址 高さ:226m遺構:主郭(山頂)、二の郭、三の郭、曲輪、虎口(裏門?)、石積(石垣)、物見台、土橋、大堀切、石累、竪掘、切岸、大手道筋など高丸(砦跡か、杉山の東北方峯続きの山で高さ268.5m)杉山山頂からは浅口市周辺の山々含めた景観が望める絶景眺望スポットになっています。
名前 |
杉山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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鴨方町小坂東の軍神社から登った。地元の方々が整備されているようで、急坂で難所もあるがロープが設置されていた。城跡からの眺望もなかなかのものっあった。北方の高丸(出丸)へ向かったが、石切場の規模は圧巻であった。枯葉が積もっている場所では、足を取られないよう注意が必要。高丸から杉谷池方向へ下山し、天空の階段へ‥‥。