園比屋武御嶽石門で歴史を感じる。
園比屋武御嶽石門の特徴
守礼門のすぐ左手に位置する世界遺産の石門です。
世界遺産琉球王国のグスク群の一部として知られています。
神聖な御嶽への入口として歴史を感じることができます。
守禮門を通るとすぐ左手にあります。その先にある真っ赤な歓会門に気を引かれて素通りしてしまいそうな石造りの渋い門です。この門は沖縄戦では壊れず建造当初から残っている門のようです。
守礼門から歓会門に至る途中の石門とその周辺のハンタン山を「園比屋武御嶽」といいます。国王が外出する際に道中の安全祈願を行った礼拝所です。門の形をしていますが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所です。門の上部に掛けられている扁額から1519年(尚真王代)に建てられたことがわかります。琉球を代表する石造建造物で、扉を除きすべてが石でできており、最上部の棟石(むねいし)部分の細かい彫刻は実に見事です。1933年国宝に指定されましたが沖縄戦で一部が破壊され、1957年に復元されました。現在、この石門は国の重要文化財に指定され、2000年には世界遺産に登録されました。
首里城あとにある園比屋武御嶽石門です。首里城に入ってすぐの左側にありますが、守禮門が目立ちすぎてしらないと通り過ぎちゃいそうなくらい目立たない世界遺産です。でも海外からの観光客は、ここで並んで写真を取ってくださっているので、もし通り過ぎても、帰りには通り過ぎちゃいけないことに気づくかもしれません。コンパクトですがしっかりとした作りの門で、裏側から見ても重厚感かあり楽しめます。
「園比屋武御嶽石門」は「そのひゃんうたきいしもん」と読みます。琉球石灰岩で造られた建築物で、国王が外出する時に安全祈願をした礼拝所になります。門の形になっていますが人が通るための門ではなく、神への「礼拝の門」なのだそうです。門の上部に掛けられている扁額(へんがく)の内容から1519年に建てられたことが判明しています。竹富島出身の西塘(にしとう)という役人が築造したものと伝えられています。沖縄戦で破壊されましたが、昭和32(1957)年に復元されました。今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として平成12(2000)年に世界遺産に登録されています。
事前に知っておかないと、見落としてしまうような世界遺産。守礼の門から、首里城歓会門に向かう途中左側にある石門です。首里城同様、琉球王国のグスク及び関連遺産群の中の一つに入っています。王朝時代に王様が、旅に出る時に旅の安全を祈願した場所と言われています。又、聖地を巡礼する東御廻り(あがりうまーい)のスタート地点となる拝所ともなります。石門には琉球石灰岩が使われており、琉球王朝時代の貴重な石造構造物として残っています。
「そのひゃんうたきいしもん」世界遺産国王が外出する時の安全をこの石門の前で祈願しました。
首里城の守礼門前にあり、間近にみることのできる世界遺産門の後ろに広がる森が本殿だという、ファンタジックな世界観です。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) 門はいつも硬く閉ざされています。どこへ行く時この門からお出ましに成られたのか?門の向こうは何?門の前に立って思いを馳せる場所です。平山郁夫さんの字で「園比屋武御嶽石門」と書かれてありました。
10年ほど前、社員旅行にて沖縄を訪れました。まだ当時健在であった首里城を観に行ったときに、偶然存在をしった世界遺産です。首里城内には、多数の世界遺産があるようで、そういった知識がなにもなかった私には、大変うれしい発見でした。存在感がすごくありました。門の後ろの木や草も、その存在感を際立たたせてくれますこの門を開いたら、その奥にはどんな世界が広がるのだろうか!?と、色々と想像膨らませてくれる門でした。
| 名前 |
園比屋武御嶽石門 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
098-886-2020 |
| HP |
https://www.okinawastory.jp/feature/heritage/sonohyanutaki_ishimon |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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地味で通り過ぎてしまいそうになりますが、門の奥の林が御嶽です。世界遺産です。