湿気漂う歴史のガマ探検。
糸洲の壕(ウッカーガマ)の特徴
道路沿いにある看板でアクセスしやすい場所です。
小池勇助軍医の訓示が残る歴史的な壕です。
旧日本軍第24師団第二病院跡としての重要性があります。
入り口近くならばなにも道具なしで行けるが暗くなる部分からヘッドライトや長靴など必要です。駐車場無いです。
道路沿いに案内標識、看板があります。道から近く比較的見つけやすい場所です。昔は他の戦跡と同様にそれなりに整備されていました。331号からわき道に入ると生活道路と農道で車の離合もできない狭い道幅です。周囲はサトウキビ畑です。一時期平和学習などで砂利の駐車場ができたりしました。しかし、見学者の行状などが問題になってしまい使われなくなり、今では草が生い茂っています。私は碑のところに2か所ご焼香して帰っています。詳細は写真をご覧いただいて参考にしていただきたいと思います。近くの轟壕とは中でつながっているとのことです。なお、大きなクモがいたりハブ取りの罠の中にハブが入っていたりしたこともありました。十分ご注意してご焼香をお願いいたします。
近くにあるウンジャーガマと轟の壕に繋がっています。小池隊とふじ学徒隊が撤退してきた壕。隊長である小池勇助自決の地であり、ふじ学徒隊の解散の場所でもある。
長野県佐久市出身の小池勇助軍医がふじ学徒隊に解散命令を発令しその訓示が後世に残っている由来の壕です。壕内には入ることは出来ませんでした。
狭い道を入って行きますが、碑の前に駐車できるスペースがあります。壕には通行止めとなっていました。
誰もこれらの悲劇的な出来事を決して忘れてはなりません。入り口の看板はありません。駐車するのも難しい場合があります。戦争ではなく、ここ数年生きることがどれほど幸運であるかを感じて去ります。(原文)o one should ever forget these tragic events. No signage for the entrance. Can be tricky to park also. One leaves with a feeling of how lucky we are to live these years and not those of the war.
旧日本軍第24師団第二病院跡です!何気ない畑の傍にこの陸軍野戦病院跡の慰霊碑は有りました。すぐ近くを通る幹線道路からは見つけずらいですが、脇道への入口横に小さな立て札が有り、砂利道を探しながら進み、ようやくたどり着く事が出来ました。普段訪れる方は余り居ないのでしょう、閑散とした碑に地元の方が供えたお花が飾られていました。
奥まった所にある。入口に柵がされており、中に入れない。
2010年1月撮影のものです。
名前 |
糸洲の壕(ウッカーガマ) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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ガマ奥まで水が流れ、コウモリの居るかなり湿気が強いガマで、本部病院壕より…怖いです。したまで手すり階段ありますが、泥濘度が強く足元注意。