村田城跡で静かな散策を。
村田城跡(古館)の特徴
村田城跡は歴史的な遺構が豊富に残る場所です。
道の駅村田から整備された遊歩道が便利に通じています。
散策路が多数あり、静かな雰囲気でデートや運動に最適です。
村田城跡は、道の駅村田のすぐそばにあります。城跡のトイレなど蔵の町に合わせた建物になっています。城跡には様々な石のオブジェのようなものがありました。
以前行ったことありますが村田の街並みの眺めはいいです。
沢山の散策路があり、静か💖デートにも軽運動にも最適でした。桜も満開で、さまざまな草木の香りも存分に楽しめました。短歌や俳句の刻まれた石碑が、植え込まれいます。
良く遺構が残ってます。アクセスも良いです。
道の駅村田の駐車場から遊歩道が整備されています。遊歩道には短歌が書かれた歌碑が並んでいたり、アート作品も設置されていて、城址までの坂道も楽しく散策出来ます。城址まで登ると木々の間から村田町内を眼下に眺める事が出来、訪れる人も少なくのんびりと散策やアートを楽しむ事が出来ます。
所々に彫刻が設置してあります。
村田城は、築城年代や築城者については定かではない。 嘉吉年間に小山業朝が下野からこの地に入り村田氏を称し、6代近重の時に伊達稙宗の子宗殖を養子に迎えた。 天正19年、村田宗殖が仏門に入り領地没収された後、伊達本家直轄領となった。慶長18年、伊達政宗の七男宗高が村田城主となり3万石を領したが若くして没し、その後は本家直轄領・奥山常良・大松沢実泰が城主となった。貞享元年、芝多常春が栗原郡一迫より移り8代に渡って在城したが、芝多常質が加美郡谷地森へ移り、入れ替わって片平教敬が慶長2年に入り、まもなく明治を迎えた。
素晴らしい空堀です。
・先の城主は知らず。天正年中、晴宗公奥州探題職に補す。庶子村田民部入道万好差置かれ曾孫、村田志摩宗継、末孫、村田志摩殖興 - 古城書上・町史跡。
名前 |
村田城跡(古館) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

城主は室町期に小山九郎業朝が村田姓を名のり伊達家の家臣となり、その後は伊達家、芝多家、片平家と変わった。(現地説明板より抜粋)城跡は公園となり道の駅の第一駐車場から登り、途中に堀切、竪堀あり主郭には城大看板で端の高台の土塁、空堀は見ごたえあります。主郭まで10分ぐらい。