日本初の鉄船、明治丸の歴史を探る。
明治丸【国指定重要文化財】の特徴
明治6年に建造された、国指定の重要文化財です。
明治天皇が利用した歴史的な鉄製機帆船です。
大学OBのボランティアが歴史を楽しく解説してくれます。
門前仲町で名所探索でしりました。海洋大学の一画に設置されていました。この大きさで船旅はきついだろうと言うのが感想です。横須賀↔️新門司フェリーで旅して船の大きさの比較ができ、揺れの予想をすると乗って船旅は?最近の大型船ならクルーズを楽しみたいですね。ちなみに、九州フェリーで、露天風呂に入ったら、風で水飛沫が、良い体験でした。11月の写真です。
月に何度か一般開放している様ですが、外からも良く見えます。
明治政府が灯台見回船として英国に発注した鉄製機帆船で天皇のお召し船としても利用された。当時の日本では高速の最優先船で島嶼探査など様々な用途に活用されて実績を残しているそうだ。特に小笠原諸島の探査ではその快速を飛ばして領有権を巡って争いのあった英国の軍艦より先に到着して領有権の獲得に大いに貢献したそうだ。その後、1897年に海軍は後継船を建造したので明治丸は商船学校、現東京海洋大学、に移管されて現在の越中島に係留されて係留練習船となった。その後関東大震災や東京大空襲の際は避難所として利用されたりもした。戦後は米軍に接収されて酒保として利用されたが、座礁したことで1951年に日本側に返還された。1954年に練習船としての指定は解除されたが、東京海洋大学では結索実習などに活用された。1978年に船として初めて国の重要文化財に指定され、その後、二回の大修理を経て現在に至っている。船形は3本マストのシップ型で建造当初は速力12.66ノット、軸馬力1450馬力で快速を誇ったと言う。ただし要目については記録が複数あり要目が異なるそうだが、当時としては高性能の快速船だったようだ。
JR京葉線越中島駅1番出口若しくはエレベーター4番出口を出て右手の清澄通りの歩道橋を月島方面へ渡り直進した東京海洋大学越中島キャンパス内にある日本最古の鉄船である。基本的に火曜日と木曜日が開館日で無料で見学出来るとの事であるが詳細はホームページを参照されたし。案内して頂いたガイドの方の説明に因れば明治6年に日本政府が英国に灯台巡回船として発注し製造されたもので当初は2本マストの外輪船の計画であったとの事である。その後練習船として3本マストに改修された事等丁寧に説明して頂いた。現在はコロナの影響で船内見学は不可能であった為、コロナ終息時再訪してみたい。
明治丸は明治初頭、洋式灯台の建設に伴って、その測量やメンテナンスを行う灯台巡視船が必要なことからイギリスに発注、1875年に日本へ回航。当時の日本国内のなかでは最新鋭の船であったため、通常の灯台見回り業務の他の役割も担いました。同年に起きたイギリスとの間で小笠原諸島の領有問題ではイギリスの調査隊が乗り込んだ軍艦よりも早く到着して測量調査に着手。(結果、日本の小笠原諸島における領有権は認められた。ということは、明治丸がなかったら日本は小笠原諸島とそれに紐付く広大な排他的経済水域を失っていたかも知れない…)や御召し船としても用いられ、1876年には明治天皇の北海道・東北地方への巡幸の青森から横浜への帰路に用いられ7月20日に横浜に無事帰港し、それを記念して出来たのが『海の記念日』(現在の海の日)だったり。お召し船や灯台巡視船に使われた後は船員育成のための練習船、戦後GHQに接収中には酒保(キャバレー)、返還後は保存船と用途が目まぐるしく変わりましたが、近代から現代に至るまで国民深い縁があり、かつ日本を「守った」船です。
何度か車で通りを通っていましたが気づかず。散歩してたら立派な船が、国の重要文化財とこ事。言葉で言い表せない不思議な力を感じます。
威風堂々とした美しい明治丸。現存するわが国最古の帆船で国の重要文化財。長さ約70m、幅約9m、1
古い船だけど重要文化財に成っている、今周りで工事している様です。
大学OBと思しきボランティアの方から、この船に関して色々面白い事を教えて頂きました。現在は3本マストの端正な姿ですが、実は真中の一番高いマストはダミーで現役時代は存在せず、引退して練習船になった後に、大人数で帆の展開収容の訓練をするために追加して設けられたそうです。その他乗員が100人以上いるのにトイレが甲板上の吹きさらしの4つと天皇陛下専用の室内の1つしか無かった、あるいは電球がまだ無い時代なので、明かり取りの窓が甲板に沢山もうけてある等興味深いものでした。
名前 |
明治丸【国指定重要文化財】 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-5245-7360 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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明治丸は、明治6年(1873年)に日本政府が発注し、英国のグラスゴーのネピア造船所で灯台巡回船として建造された。補助帆付汽船であり、現存する我が国最古の鉄船である。明治9 年(1876年)には、明治天皇が東北、北海道巡幸の際に、青森から函館経由、横浜への海路二座乗された。昭和53年(1978年)に国の重要文化財に指定された。