由緒あるひ爪神社、神聖な境内。
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備前国128社の内の一つです 同じ境内に熊野神社が有りますが、宮司は違われるそうです 車は下と上で何台かずつ停められます。
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名前 |
ひ爪神社 |
---|---|
ジャンル |
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電話番号 |
086-995-1653 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.0 |
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ひ爪神社(ヒヅメジンジャ)由緒本国総社神明帳に、ヒヅメ神社という式外神社預国幣百五社の内で、旧社号はヒヅメ神社である。中古以来熊野権現、明治二年には熊野神社と号したが、明治三年に旧社号に復した。後醍醐天皇が隠岐国に遷らせ給う時に、赤松則村がこの処に十二社権現を勧請して、天皇の幸多き事を御祈願したのが、この宮の起りである。(岡山県神社庁)[特記事項] 後醍醐天皇が隠岐国へ遷らせ給う時に、天皇の幸多き事を御祈願したのが、此の宮の起こりである。{ヒヅメジンジャの(ヒ)は、土編に要の字です。}(岡山県神社庁)由緒当社の創建年月日、由緒等は不詳であるが、本国総社神名帳には、ひ爪神社(「ひ」は土へんに要)、またひ爪大明神と記載があり、備前国古社式内外128社の一社とある。社記の参考となるのが慶長2年(1604)神職居宅の火災により、焼失した。池田家の崇敬により社領8斗が明治4年まで寄付された。古くからは、八幡宮を氏神として奉祀していたが明治初年、神社を整理していた際、ひ爪神社を相殿とし明治9年頃の官簿では、ひ爪神社が氏神となり、八幡宮が相殿に変更されている。明治44年、事情により八幡宮のみが、郷社豊原北神社に合祀された。本国明神町「正三位ひ爪大明神」とある。明治9年10月19日、ひ爪神社と復称し、御祭神をひ爪神と改定された。大正11年5月神饌幣帛供進神社に指定された。(岡山県神社庁)ひ爪神社(岡山市東区瀬戸町万富)・熊野神社(赤磐市徳富)吉井川に面した大盛山東裾急斜面に位置する。かつては西に山を越えた保木松尾にあり、元禄の頃に廃社となる心配から人里遠き現在の地に移されたといわれる。もとは一社で一対の石獅子を所有していたのであろうが、ある時期に二社に分離してからは年ごとに入れ替えながら各一体を所有していたようである。現在、子獅子と戯れている一体は熊野神社所有で岡山県立博物館に寄託されており、毬と遊んでいるもう一体は不明である。