室町時代の名水、堀河沿いに。
芹根水の碑の特徴
芹根水の碑は井戸がなく碑だけが残る場所です。
水は湧き出ていないものの歴史を感じられます。
碑の存在がこの地の文化的価値を象徴しています。
もとの芹根水は堀河通り木津屋橋下るの堀河沿いに湧いた泉で、室町時代には能阿弥によって京の七名水の一つに数えられていて、『都名所図会』月見橋の次に図が見えている。川と同水位であったので松下烏石が川水が入らないように井筒を寄進して、かたわらにこの石標を建てた。・芹根水[臥13051]
碑のみあって井戸などはない。大正に堀川の河川工事でなくなり、碑のみ残ったようだ。右隣りに「文房四神之碑」がある。以下は写真の看板をグーグルレンズのアプリで起こしたもの。もちろん完璧ではなかったので、添削に時間を要しました。芹根水の碑江戸時代後期 花崗岩(自川石)芹根水は、むかし洛中七名水の一つに数えられた。安永九年(一七八〇)の「都名所図会」によれば、「芹根木は堀川通木津屋橋の南にあり、近年書家烏石葛辰、清水に井筒を入れて、傍らには芹根水の銘みづから (中略)書して石面に彫刻す云々」 と記し、石の井筒から清水が湧きたして堀川に流れこむさまを図示している。江戸時代の著者な書家、烏石葛辰(一七〇〇-一七七九)は、葛烏石、(かつら石)烏石山人とも号し、洛中名水の保存と顕彰に務めた。この碑もその代表的な一つであり、惜しくも年銘はないが、今から二百三十年前宝暦年間の製作と考えられる。以来この名水は文人墨客、茶道家、商家一般に永く愛用されたが、時移り大正三年(一九一四)堀川改修に際して濁水混入し、井筒も失われ、独り碑のみが護岸中にのこされていた。いま堀川暗渠工事に先立ち、碑を河中より引揚げその保存を図るも、飲水を大切にした古人の心を現代に伝えたい願いにほかならない。
名前 |
芹根水の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si032.html |
評価 |
3.5 |
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もう水は湧き出ていないみたいです。