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名前 |
市坂念仏石(安養寺念仏石堂) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
3つ並んだお堂の一つに大きな丸い石が置かれています。これが念仏石なのですが、石板の由来を簡単に要約すると法然上人が念仏を書いた紙とこの巨石を天秤でくらべたら、念仏を書いた紙の方が重かったという話です。ただ、それでは「ああそう」で終わってしまいますから、背景も少しふれておきます。こういう重さ比べの事態に至ったのには背景があってのこと。この重さ比べの前に、法然上人は平重衡に対して処刑前の説戒をしていますが、平重衡こそがこの石板の「南都大仏殿再建落慶」の原因になった「1180年の南都焼打ち」をした張本人なわけです。さらに再建を行った重源上人の前任者が法然なわけですから、高僧間では遺恨はないにしても、末端では「元東大寺の管理職が町ごと寺を焼き払った平重衡を勝手に許したのも腹が立つし、焼けた大仏殿再建の落慶の特別講師で呼んだのに南無阿弥陀仏だけで帰るのも腹が立つ。」というので、追いかけてきたというというのがこの重さ比べの背景になります。石板の「大導師に講せられときに唯念仏一行のみ修し帰洛に赴き給う途、迎拝諸人跡を追来たりて」という法然上人を追ってきた理由はそんなところでしょう。お堂の中にありますが、何kgだろう?…もっとよく見たいですね。何か当時の記録より重くなったという話もありますよ。…こんなことをずっと考える私は、間違いなくいつまでも「追来たりて」の諸人側でしょうね。