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名前 |
東明寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
北笠置、布目川を越えた辺りを飛鳥路といい、1331年笠置山の戦いで笠置寺の寺宝が疎開したのではとの伝説がある地区になります。笠置山落城で後醍醐天皇もここ笠置の飛鳥路地区から木津川を渡り対岸の笠置有市に脱出していますね。さて、そんな飛鳥路東明寺の寺域でたくさんの板碑や石仏を見つけることができますが、お寺の由来など無いので、苦手ですけど少し真面目な話をしておきます。ここ、東明寺はこの辺りでは珍しく、南都(奈良)ではなく京都大覚寺派の寺院と伝えられています。大覚寺派は南朝、後醍醐天皇の系列で、笠置山落城後に、東明寺は引き続き南朝勢力の疎開先なり拠点であったと考えられています。実際、東明寺本堂には奈良時代の大般若経があり地区の人に補修されながら守られてきました。奈良時代の経典は極めて貴重なもので、笠置寺の戦いに際して疎開させた笠置寺の寺宝の一つだったのではと言われています。もし、大般若経教600巻のうち東明寺に伝わる38巻を見るなら、今は奈良の国立博物館に行くと良いかと良いと思いますよ。大正12年に寄贈されてます。この東明寺は、寺というよりは飛鳥路公民館の一角で、今は敷地の石造品を見に来るくらいでしょうね。