内藤清成陣屋跡の稲荷神社。
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内藤清成陣屋跡に鎮座する、稲荷神社です。狭い境内ですが、鮮やかな朱い鳥居と社殿が目を引きます。
名前 |
陣屋稲荷 |
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ジャンル |
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住所 |
|
評価 |
3.3 |
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内藤修理亮清成陣屋蹟村の東南小路、陣屋小路にあり。清成が天正中(天正18年に領主となる)に建てたといわれる。広さ 2578㎡。サッカーコート1面と大体同じくらいの大きさ。そのご領主がかわり阿部飛騨守正喬にいたり、元禄十三年廃絶し、そして村民の居住地となった。ここの地の領主の名に、駿河大納言忠長卿、松平伊豆守信綱等々ある。内藤修理亮清成 は38歳でこの地の領主に。もともと三河の譜代の武士。26歳の時2歳だった2代将軍秀忠のお守り役を青山忠成と共にする。関ケ原の翌年、加増されて、信濃高遠藩内藤家の初代といわれる大名となる。又、大正記の著者といわれる。慶長8年 清成49歳の時に この地の南東にある宗仲寺を創建。父竹田宗仲の菩提寺とする。54歳で江戸にて病没。墓は徳川家康が創建した台東区の西福寺(当時は江戸駿河台)と、この宗忠寺にそれぞれある。新編相模風土記より内藤修理亮清成陣屋蹟 村の東南小路 陣屋小路にあり。天正年中清成建つる所と云う。廣さ 2段6畝(せ)餘。其の後領主替わりて阿部飛騨守正喬に至り、元禄十三年廃絶しより村民の居地となれり。