隠れキリシタンの歴史を感じる。
サン·ジワン枯松神社の特徴
隠れキリシタンの聖地として、サン・ジワン神父の墓がある場所です。
境内の墓は整備され、歴史を感じるスポットです。
潜伏キリシタン文化を学べる重要な場所で、訪れる価値があります。
隠れキリシタンの方達がひそかに集まってオラショを唱えていた所だそうです。サン▪ジワン様を祀っているとか。キリシタンを祀る全国的に珍しい神社だそうです。キリシタンには遠藤周作の本を読んで以来、ずっと興味を抱いていました。行って良かったと思います。黒崎教会から、私は徒歩で行きました。坂道が少々きつかったですが、人目につかないように信仰を守っていくには集まるにしてもこういう場所になるな、と思いました。足に不安のある方は杖を使った方がいいと思います。参道(?)の入口に、杖が用意されていました。石段、木の根道と社殿に向かうまで結構大変でした。途中にオラショの岩がありました。私が行った時は、途中で誰とも会わず、ただ鳥の囀りが聞こえるばかりでした。静かな所でした。色々なことを考えました。
潜伏キリシタンの祈りのやしろ再建されたそうです。大きな石に苔がついてました。祈りの石だそうです。
登り口が分かりづらいです。外海運動公園に降る手前に登り口があり、登り口の右の道を進んで下さい。
小さな神社です。お参りする人もあまりありませんし、枯枝や枯葉も至るところに落ちています。しかしここは、宗教学上、民俗学上重要な神社です。ここに祀られているのは、殉教したキリシタン。それを神社の形式で祀っているのです。このような形にせざるを得なくなったのは、もちろん切支丹弾圧のため。この地域は、戦国時代から重要なキリシタン信徒の多い地域でした。それが弾圧を避け、なんとか信仰を保つためにこうしなければならなかったのでしょう。ここに行った帰りに、近くの黒崎教会堂に行ってください。そして弾圧下の信徒の精神生活と、明治以降欧米諸国の圧力により明治政府がやむを得ず宗教迫害をやめた後の精神生活との違いを実感してください。
境内の墓が修復されている。
外海の潜伏キリシタンの指導者サン・ジワン神父の墓だと伝えられ、2000年から、地元のカトリック信徒、仏教徒、カクレキリタンが集い、共に同じ先祖の遺徳を称え祈る「枯松神社祭」が開かれてます。
この神社がある黒崎地区では、禁教が解かれた明治時代以降、潜伏キリシタンはカトリック信徒、仏教徒、かくれキリシタンに分かれたとされる。3者の融和を図ろうと、2000年から毎年文化の日の神社祭に3者が参加する。聖書の朗読や読経、かくれキリシタンの禁教下に口伝された祈り「オラショ」が唱えられ、3者がそれぞれの立場で祈りをささげる。キリシタンを祀った珍しい神社であり、日本に3つある神社の一つである。
村人が夜な夜な秘密裏に集まり祈る場所寺社に見立てた偽装に、目印と身を隠す岩などキリシタン文化を巡る方は必須の場所駐車場に止めて少し歩いて登りますが、江戸時代も同じように登ったかと噛み締めてホコラまで登ると感慨ひとしおです。
日本に数少ない、キリスト教、仏教、神教を奉る神社。潜伏や隠れと言われる悲しい歴史が無ければ、おそらく、この時代にこの神社は存在しなかったはず。歴史の証人が枯松神社。行ってみると、気持がピンと張る様な気がする。
| 名前 |
サン·ジワン枯松神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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隠れキリシタンの歴史を知りこの場所を知りました。隠れキリシタンによって祀られていたと言う神社です。上に上がっていくとお墓があって、さらにその奥を進んでいくと、小さな建物が見えていきます。その中に小さな石が祀られています。サンジワン枯松神社と刻まれた石が祀られている。サンジワンとはバスチャンの師とされる神父ジワンこの人物も実在かどうかは定かではないが、外海では神格化され、崇敬を受けてきた。この神社に上がっていく石段の脇に、祈りの岩と呼ばれる大きな岩がある。声に出して、オラショ唱えることができなかった。キリシタンたちは、1年に1度復活祭の前の悲しみの節(カトリック用語で言うところの四旬節)の夜に、この夜に、この下に集まって、密かにオラショの練習をした。これは緊教令が解けた後も残り、昭和初期頃まで続けられていたと言う。枯松神社に登る、参道の左側にある祈りの岩は必ず行ったほうがいいです。潜伏キリシタンたちがオラショを唱えるために集まったところとされている岩で、大人が数名入れるほどの大きさがあります。これは隠れキリシタンにおいて重要な場所なので、この場所に来たら、枯松神社の建物ではなく、この祈りの岩を必ず先に見た方が良いと思います。また枯松神社では毎年11月3日に行われている枯松神社祭ではあらゆる立場の人が、この神社に集まり、カトリック教会による合同慰霊ミサ、寺の住職による法話、隠れキリシタンの代表によるオラショなどが奉納されます。