与三兵衛が守る小信川の歴史。
人柱観世音菩薩の特徴
約400年前の人柱伝説が息づく史跡です。
与三兵衛の霊を弔う観音像が魅力的です。
小信川をせき止めた難工事の歴史があります。
慶長の頃、堤を作るために自ら人柱の犠牲となった与三兵衛の霊を弔うために建立された観音像です。境内にある「人柱観音縁起」に詳しく書かれていますが、私が少し疑問に思ったのは自ら人柱になった人の魂魄がこの世に出てくるのかということです。堤が完成した後に青白い火が現れるようになり、人々はそれを「与三の火」と呼び、与三衛門の菩提を弔うために観音像を建立したということですが…おっと、こんなことを書いたら「罰当たりめ!」と怒られそうですね。しかし少し気になったので、書いてみました。悪しからず。境内には与三衛門の他にも濃尾大橋建設時に命を落とした三人の方の菩提を弔う小観音像もあります。新しい供物と綺麗な献花が印象的でした。追記歴史民俗資料館の映像ライブラリーで「与三の火」を見ました。私の感想はやはり与三衛門は人柱に「志願した」というより「志願させられた」というものでした。最近時々耳にする「同調圧力」というものです。もっともこれはこの映像の製作者の単なる個人的な解釈なのかもしれませんが…皆さんはどう思いますか?気になる方は一宮市尾西歴史民俗資料館の映像ライブラリーを見てください。
人柱観音(/≧◇≦\)
今から約400年前、小信川(このぶがわ)を せき止める難工事の成功のため、捨て身で人々 の不安を救おうと人柱になったのが、中の坊の 寺男・与三兵衛(よそべえ)です。この人柱観音はその偉業を後世に伝えるために 建立され、後に濃尾大橋架橋工事の際に犠牲に なった3名の方も併せて、毎年4月に大供養が 営まれています。
名前 |
人柱観世音菩薩 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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現在のこの地ごあるのは昔、この地を守るために人柱になった与三兵衛さんのおかげと言われております。感謝して訪れるには良いかも⁉