幕末の英雄、井伊直弼の霊地へ。
井伊直弼の墓の特徴
幕末を生きた井伊直弼のお墓で歴史を体感できます。
墓石には戒名しかないため、探索の新たな楽しみが待っています。
静かな雰囲気の中で、歴史を感じる特別な場所です。
井伊直弼は1815年に生まれた彦根藩第16代藩主で激動の幕末において幕政を摂った人物として有名。14代藩主井伊直中の14男として生まれ17歳から32歳までは屋敷住まいで大名とは縁のない人生を歩んではいたが、跡取り予定だった11男の兄、井伊直元が死去してしまいひょんな事から江戸に招集され井伊直亮の養子となる形で彦根藩の後継者となった。幕末期においては襲来する欧米列強の対処や老中の阿部正弘の急死、13代徳川家定の跡の後継者問題、さらには台頭する尊王攘夷派の対処や、孝明天皇との政治的な連携失敗等で日米との不平等条約締結の戦犯として烙印を押され等散々な目に遭う。井伊直弼主導による攘夷派の主要人物が軒並み捕縛され処刑され、後に安政の大獄と呼ばれる厳しい弾圧にって攘夷派から憎悪を向けられるようになる。1860年3月、江戸城の桜田門前で参勤中に水戸浪士と薩摩浪士の襲撃に遭い46歳の若さで凶刃に倒れた。世に言う桜田門外の変である。彼の死は幕府の権威を失墜させ7年後に幕府が大政奉還し江戸時代の終焉のきっかけとなった。井伊直弼が眠っているとされる豪徳寺は井伊家の菩提寺の1つで井伊直弼の墓も井伊家の霊廟内に安置されており、遺体もそこに安置されているのが定説であった。しかし2009年に墓の修繕のため1.5mほど土を掘り返した所、大名の墓にあるはずの石室が存在しなかったという。そこで2010年に東京工業大学によるレーダー照射による3m下まで調査が行われたが墓の下には何も無かったため、井伊直弼の遺体が現在どこにあるか定かではない。因みに正妻の墓にはちゃんと石室が確認されているため、意図的に石室が作られてはいないのが確認されている。
墓石には戒名しか書かれていない為、マップ無しでは少々探す事になります。位置は井伊家のお墓群の一番奥左にあります。他のお墓と違い直弼氏のお墓にのみ供花がされていました。
幕末の大名。近江彦根藩主井伊家15代。墓正面は「宗観院殿正四位上前羽林中郎将柳暁覚翁大居士」と刻まれています。「彦根藩主井伊家墓所」として、清凉寺(滋賀県彦根市)、永源寺(滋賀県東近江市)、豪徳寺(東京都世田谷区)で、国指定史跡に指定されています。また「井伊直弼墓」として、東京都指定史跡にも指定されています。
静かな雰囲気。一度訪れる価値はあり。
井伊直弼のおはか。
歴代藩主の墓とあまり変わりません。後ろに桜田門外で死亡した藩士8人の供養碑があります。
名前 |
井伊直弼の墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

リスペクトする彦根藩主、大老井伊直弼が眠っております。墓石の横には亡くなられた三月三日ではなく、三月二十八日と刻まれているところにも注目していただきたいです。豪徳寺から徒歩10分ほどの場所にある世田谷区立郷土資料館に行くとその理由が分かりますので、ぜひそちらも訪ねてみてください。複製ですが、井伊直弼公の立派な肖像画も展示されています。