畠山重忠公と同じ地で。
六ツ塚の特徴
畠山重忠公の史跡で、歴史的な深みがあります。
六つの塚は、戦の悲劇を物語る特別な場所です。
元久2年の戦いの舞台として、歴史好きにはたまらないスポットです。
横浜市旭区は鶴ケ峰に有る「六ッ塚」です。畠山重忠公にまつわる史跡です。畠山重忠公は北条氏(鎌倉軍)と、この近くの古戦場で相まみえ討ち死にしました。そして畠山重忠公はじめ一族郎党は、この六ッ塚に分けて埋められたと伝わります。今は薬王寺の中と、あとは道を挟んだ隣のブロックに別れて有ります。武勇に優れ鎌倉武士の鑑、鎌倉武士の誉と言われた、畠山重忠公はじめ一族郎党の皆様に静かに手を合わせて参りました。そして少し墓(塚)掃除などして参りました。(塚の上にに落ちている枝や枯れ葉等を取り除いて来ました)この周辺には畠山重忠公にまつわる史跡が幾つか有りますので、「鎌倉殿の13人」を観ていた方は是非に訪れてみてはいかがですか。
畠山重忠公の史跡へ。こちらは閑静な住宅街にひっそりありました。ドラマ鎌倉殿の中でも非業の死を遂げたことで話題になりましたが、あちこちにある重忠公の史跡を見ていると かなり人望のあった方で未だ愛されているのがわかりますね。
今日の現場に行く途中に、発見。看板の史実を読んで、生き様とは何かをかんがえさせられました。
畠山重忠公の遺構の一つです。
北条方に壊滅させられた畠山重忠勢を六つの塚に埋葬して弔った、といわれる塚。それが何処なのか分からず焦りましたが、墓石が建っていない墓みたいのが、それかな?お寺の境内にもあり、道路を挟んだ反対側のスペースにも点在していました。鶴ヶ峰駅から少し離れた坂の上にあるので、暑い夏だとタオルは持ってった方がいいかもね|д゚)チラッ他にいくつか畠山重忠関連の史跡があるので、それも一緒に回ると雰囲気味わえますようう!
多勢に無勢の戦いに、信義を貫き数万の北条軍に対し、畠山重忠公側134騎が陰謀のつゆと消えた…主従一同と六箇所に分けてこの地に葬られたとの事。
元久2年(1205年)、畠山重忠軍と北条軍が二俣川周辺で戦いました。 兵力は、北条軍数万に対して畠山軍は134騎と伝わっています。 畠山軍134騎は全滅し、畠山軍主従は6つの塚に葬られたとのことです。
名前 |
六ツ塚 |
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ジャンル |
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住所 |
〒241-0021 神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町2丁目15−9 |
評価 |
4.8 |
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こちらは2024年06月24日の訪問となります。薬王寺境内及び周囲にある畠山重忠以下134騎の供養塚です。元は普通の塚ぽかったのが昨年の慰霊祭付近で石造りのゴージャス塚になったらしいです。昔の画像も拝見しましたが、本当、持った土に草が生えたようなものから随分と変わったものです。元々、土を盛った塚が六つあったのが名の由来らしいです。画像三枚目が部下で四枚目が重忠の、なのかな? と思ったら誰が誰のかははっきりしてないそうですね。塚のうち二つは道路向こうの飛び地にあります。