天明3年の歴史を感じる。
人助けのカヤの特徴
天明3年(1783年)の大噴火を物語る史跡が魅力です。
溶岩流が地域を襲った歴史を知る絶好の場所です。
吾妻川に沿った壊滅的な被害の痕跡が残っています。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
人助けのカヤ |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
天明3年(1783年)浅間山が大噴火を起こし、溶岩流が吾妻川をせき止めた為、激しい濁流が川沿いの村々を襲い、この北牧宿も壊滅的な被害を受けました。宿の先端である吾妻川畔には、そのときの熱泥流の固まりが、いまでも残っています。宿場の家々も寺も一瞬のうちに押し流され、多くの人命が失われましたが、このカヤの木に必死でよじ登った人々は、九死に一生を得て助かりました。以来、このカヤの木は「人助けの木」と呼ばれ、大切に保存されてきました。ただ、葉と実の匂いから「へだまの木」とも言うそうですが…(^_^;)