契沖が息づく静寂の妙法寺。
妙法寺の特徴
大今里の熊野神社北側に位置する静かなお寺です。
契沖の住職時代が有名で歴史を感じる場所です。
聖徳太子の創建伝承が残る文化的な価値が高いお寺です。
契沖のお墓が有り、この日史跡巡りの方とお会いしました。
契沖、縁のお寺だ、そうです‼️😀
真言宗妙法寺。契沖の墓所でも有名なお寺だが、それよりも静かで落ち着いた雰囲気が素晴らしい。
27年ぶりに訪ねました。契沖阿闍梨様の墓所や大黒天様、恵比寿さまも祀られている由緒ある真言宗寺院です。境内にある白壁の会館で27年前母方祖父葬儀を行いました。母方実家は浄土真宗大谷派です。
【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区 聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。「契沖遺跡」(けいちゅういせき)昭和24年(1949年)に妙法寺境内は、僧契沖遺跡として大阪府顕彰史跡に指定されています。近世国学の祖といわれる契沖は、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)までの11年間、この妙法寺住職をし、国学の勉強に尽力した。契沖の父は尼カ崎領主青山大蔵小輔幸真に250石で仕えた下川善兵衛元金でその第三子として寛永17年(1640年)に尼ヶ崎に生まれ、11才のときに出家して仏門に入り、その後高野山で修業にはげみ、妙法寺住職となってから本格的に国学研究の学問に専念し、徳川光圀公の委嘱により、有名な「万葉代匠記」やその他多くの著作を完成させました。 元禄3年(1690年)に慈母が当寺で死去されたのを機に、現天王寺区飼差町の円殊庵(えんじゅあん)に移り、元禄14年(1701年)62才の生涯を終えました。宝歴(1751年)頃の妙法寺は一時衰退していましたが、泊中法典和尚が住職し大黒天信仰を鼓吹してより時運隆盛になり「南にては今宮のゑびす、東にては今里の大黒」と喧伝され、庶民の群参で賑わったと伝えられています。現在妙法寺境内には契沖の供養塔と慈母の墓があります。場所:大阪市東成区大今里4丁目16-50アクセス: 大阪市営地下鉄千日前線 今里駅から0.4km
名前 |
妙法寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6971-1568 |
住所 |
〒537-0012 大阪府大阪市東成区大今里4丁目16−50 |
評価 |
4.4 |
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大今里の熊野神社北側に位置するお寺ですが、都市部の喧騒を忘れさせる静かで比較的大きくどっしりとしたお寺と感じました。