竹崎季長のお墓で感じる歴史。
竹崎季長の墓の特徴
鎌倉時代の武士、竹崎季長の墓が訪れる価値ありです。
蒙古襲来絵詞にまつわる歴史を感じることができます。
桜の季節には、美しい風景が広がる場所としておすすめです。
元寇で活躍した鎌倉時代の武将、竹崎季長のお墓です。一帯は平原公園として整備されており、一番高い位置に記念碑が置かれています。碑文は現代風に訳すと「武士の道は先陣を切ることに意味がある」蒙古軍に攻め入る前に季長が発した有名な言葉ですね。この碑文は日露戦争で活躍した、元帥海軍大将・東郷平八郎が季長の元寇での活躍に感銘を受け刻んだものです。
平原公園内にあります。説明板など設置してくれていてわかりやすかったです。お花も沢山咲いていて、地元の方々に大切にされているのが伝わりました。
蒙古襲来絵詞で有名な鎌倉時代の武士、竹崎季長の墓がある。季長は蒙古相手の戦に奮戦したが、恩賞をもらえなかったので、自分の奮戦を絵巻物にして幕府に陳情しここ宇城市海東郡の地頭職を得た。季長が偉かったのは戦ではなく、それを絵巻物にして残したこと。この墓所と公園はよほど季長に思い入れがある人でないと全くつまらない場所なので要注意!
元寇のときの様子を伝える貴重な絵画史料、蒙古襲来絵詞を描かせたのが竹崎季長です。彼は元寇で武功を上げ、この海東を領地としてもらいました。彼のお墓が小さな公園の中にあります。
蒙古襲来、絵巻の人物です!
古いお墓ですが歴史の重みがあります。国難を救った英雄です。顕彰碑には、「弓箭(きゅうせん) の道すすむをもってしやう( 賞) とす」との揮毫(東郷平八郎)があります。李長は、その言葉に続けて「ただ駆けよ」と叫び、郎党と共に元軍の中に飛び込み、先駆けした。なお、絵詞を作成したのは、恩賞を貰った後のことです。恩賞請求の証拠に作成したものではありません。
歴史の面白さは、その人による。
4度目の挑戦でやっとたどり着きました。通り過ぎが1回。途中引き返しが2回。
看板出ていて、入り組んでる場所だけどわかりやすい。
名前 |
竹崎季長の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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