歴史を感じる川尻の石畳散策。
川尻御蔵前の船着場の特徴
冬の日や春に加勢川沿いを散策するのに最適です。
川尻町の石積み階段や塁は歴史的価値が高いです。
船着場として栄えた頃の石畳や公衆トイレが見られます。
川尻は肥後藩の軍港で年貢米の集積、積み出し港でした。ほとんどの年貢米は、水運を通じて飽田・詫麻・益城・宇土の四郡十八手水から二十万俵が川尻御蔵に集められました。その年貢米の荷揚げや船積みのために設けられたのが、この船着場です。潮の干満や水量の増減に影響を受けないように、長さ150メートルにわたって13段(後に段積み増す)の石段を築き上げて、所々に船繋ぎ石を設けており、当時は大勢の労働者で賑わっていました。明治に入り、年貢米が廃止された後、御蔵は米券倉庫として活用されました。しかし、加瀬川筋の堀替えによって川筋は浅くなり、また陸上運送の時代を迎えると船着場は衰退の一途を辿りました。
長く続く河岸の石垣や川面に降る階段が素敵♥恵比須さんもいらっしゃいました。
肥後藩の軍港だったときもあるとか。当時の面影が伝わってきます。鉄道の鉄橋でガードなしの列車の真下を見られるので鉄オタさんにもおすすめです。
川尻町の加勢川河岸にある.船着き場遺構。万葉の頃から肥後で.一番古い港として使われた。加藤清正公の時代.天草一揆や.朝鮮出兵などの拠点として。ルソン貿易等に。明の時代の書物に開懐世利(かわせり)の記述がある。細川公時代には肥後五ヵ所の一つとして.奉行所や今の税関など置かれた。飽田・託麻・益城・宇土の四郡十八手永からの.年貢米の収納は九棟の御倉に.20万俵収納出来たという。手永とは細川氏が治めた豊前小倉藩と.その後治めた肥後熊本藩で使用した行政制度。他藩では組・筋・通とか称して.幾つかの村庄屋み束ねる大庄屋が置かれた。肥後藩では.大庄屋も惣庄屋と呼んだが.対外的には大庄屋と..。御船手(水軍)は大小150艘有ったと…。明治初期でも1000艘/yearの商船が訪れたと云う。干満差の大きい有明海の潮位に合せて.13段(現14段)/150㍍で築かれている。
ここは冬の暖かい日や春の加勢川沿い散策最高ですね!立春を少し過ぎた頃は特にいい場所です。中無田閘門近くに車を停めさせて貰って、川沿いを思う存分散策、そして川尻でランチ。素晴らしい春の休日が過ごせます。プラス!川尻の昔ながらの街並み最高!
石積の階段や塁などは歴史的にも貴重ですので次世代に残して欲しい史跡ですね❗️
古い石垣が鉄橋を支えていて、おどろき。
昔ながらの町並みがよかです。
この辺りは情緒があって良い所ですね✨またゆっくり散歩したいです🎵
名前 |
川尻御蔵前の船着場 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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.熊本水遺産「川尻御蔵前船着場」歴史を感じる石垣が護岸の役割も兼ねてる。ここに荷物が届いてこうやって運んでたのかもしれんね!って想像するだけでも楽しい。