台東区の江戸六地蔵、心温まる出会い。
東禅寺の特徴
江戸六地蔵尊が鎮座する歴史ある寺院です。
住宅地の中に位置し、静かな雰囲気が魅力の場所です。
御住職の奥様が親切に御朱印を提供してくれました。
寺町に生まれた私でも、大きなお地蔵さんが近くに有るのは、このお寺です。大人になってから、江戸六地蔵だと知りました。
江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像が鎮座しています。1710年(宝永2年)に品川寺の地蔵菩薩坐像に続いて2番目の像として造立されたといいます。こちらのの地蔵は、他の地蔵のように鍍金加工したものではなく、弁柄色の漆を塗って金箔を貼ったものだったそうです。また境内には銀座木村屋総本店の開業者・木村安兵衛と妻ブナの夫婦像があります。あんパンがゆうめいだったようですね。近くの吉野通りが江戸時代は奥州街道だったとか。
寺町山谷周辺にある数多いお地蔵様の中でも、地元で一番親しまれているのが東禅寺の江戸六地蔵だろう。まんじゅう笠をかぶり、左手に宝珠、右手にはしゃく杖を持ち、寺の正面真ん中にどっかりと腰を据えている巨大なお地蔵様だ。江戸街道口を鎮護するために合計六っ造られた六地蔵の建立者は、深川の地蔵坊正元だと伝えられている。ふとした動機から六地蔵建立を発願し、宝永3年(1706年)から12年の歳月を掛けて江戸の街道口に六体の地蔵様を完成させたという。六地蔵の縁日は特にないが、最近はお参りする人が増えているらしい。「下谷・浅草 史跡をたずねて」の記述に面白いことが書いてある。それは六地蔵を造った地蔵坊正元は、歌舞伎などでも有名な八百屋お七の恋人佐兵衛の変身で、恋人に会いたい一心で自宅に放火し、火あぶりの刑に処されたとされるお七の霊を慰めるために六地蔵を建立したんだという伝承もあるんだとか ???以前東禅寺の方丈さんに伺った話では、お江戸の昔は寺の周辺一帯、吉野通りまでが寺の領域だったそうで、かつて六地蔵は奥州街道沿いに向いていて、その後方にあった参道の奥が本堂になっていたそうだ。江戸幕府の時代に寺社奉行所が管理していた古地図が今も現存していて、国会図書館のデータベースからダウンロードができ、その地図から当時の東禅寺の敷地の広さが分かるらしい。なお、六地蔵の左手には、あんぱんの考案者と伝えられる銀座木村屋總本店の創業者、木村安兵衛と妻ブナの夫婦像があり、墓地の一番奥に創業者家の墓があると共に、青物市場で使う符牒(ふちょうu003d取引の値段などを合図する隠語)の元祖「小楠家」の墓も東禅寺にあるらしい。
東禅寺(とうぜんじ)は曹洞宗の寺院。1624年(寛永元年)、哲州和尚によって開山された。境内には、地蔵菩薩坐像がある。これは「江戸六地蔵」の一つで、1710年(宝永2年)に2番目の像として造立された。当寺の地蔵は、他の地蔵のように鍍金加工したものではなく、弁柄色の漆を塗って金箔を貼ったものである。1999年(平成11年)に修復工事が行われているあんパンを考案した木村屋(現・木村屋總本店)創業者の木村安兵衛夫妻の像があるとの事です最寄り駅は南千住、三ノ輪駅ですがどちらの駅からも結構歩きます。(17〜20分)こちらにも江戸六地蔵を求めてきました。この大きなお地蔵様が江戸時代から存在していた事が凄いですね。木村アンパンの創業者像があるのも嬉しい発見です。
洞雲山東禅寺。曹洞宗のお寺です。江戸六地蔵の一つ、銅造地蔵菩薩坐像が正面にあり、なかなかの迫力。地蔵菩薩坐像は東京都指定有形文化財です。
江戸六地蔵があります、方丈様、奥様、とっても良い人です。
東禅寺は格州和尚が開基し、寛永元年(1624)に哲州和尚を開山の祖として創建されたと伝えられます。本堂前に鎮座する”銅造地蔵菩薩坐像“は江戸六地蔵のひとつであり、東京都指定有形文化財です。なにか優しい表情をされており癒されます。有り難く、”江戸六地蔵尊”の御朱印を頂きました。
住宅地の中に有ります門は閉められてますので自分で開けて入り帰りは閉めます御朱印は2種類頂きました釈迦牟尼仏大江戸六地蔵尊。
お地蔵さまがデカイのだ。
名前 |
東禅寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3873-4212 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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台東区 金太樓鮨本店近く銭湯巡りで行く着く先々 六大地蔵の偶然ここは湯どんぶり栄湯目的で来ました。あんパンで有名な木村屋創業者夫婦の胸像があります。