手宮線跡地で歴史を感じる!
旧手宮線の特徴
旧手宮線跡地は、観光客で賑わい穏やかな遊歩道が魅力です。
北海道で最初に引かれた鉄道の遺構が美しく整備されています。
映画はるか、ノスタルジィのロケ地としても知られ、写真映えスポットです。
この線路を見れば誰でも写真を撮りたくなります人が多いので自分たちだけで撮るのはなかなか難しいですが線路の上を歩いたり線路と周りの景色を楽しんだりと雰囲気のいい観光地だなと思いました。
旧線跡、今は観光客で賑やかな時季でも穏やかで落ち着いた遊歩道。最高です。これからもこの線路に枕木を大切にしてもらいたいものです🚃
幾度となく小樽に訪れていますが付近通っているもののなぜか縁がなかった旧手宮線跡地。いかにも写真が撮りたくなってしまう雰囲気です。若い女性やカップルが殆どで通過するのもちょっと恥ずかしかったです。季節的にきれいな北海道らしいお花も咲いていて天気も良かったので気持ちが良かったです。ただここを目的地としてくるか??と言えばノーです。偶然通りがかった雰囲気の良い場所ということです。写真の撮り方が上手い人にはいいかもしれないですね。
線路を踏んでみることなんてなかなか普段できないのでちょっとワクワクしました。お花がキレイに咲いてましたが、何度か通りがかった時にお手入れをしてくれてる方たちを見かけました。また、途中お話好きなおじさんから話しかけられたのですが、ここは3番目に古い鉄道だとか…そこそこ歩くようですが鉄道の博物館もあるそうです。逆方向に進んでしまってたので今回行きはしなかったのですが、興味のある人には楽しそうだなと思いました。
偶然発見!寿司屋通りから小樽市総合博物館まで続く「手宮線跡地」らしい。写真スポットとなっている。駅舎跡もあり心躍った。手宮線の廃線跡が遊歩道として整備されています。旧国鉄手宮線は、1880年に北海道で初めて開通した鉄道「官営幌内鉄道」の一部。幌内(三笠市)の炭山から石炭を港のある小樽市へ運ぶために敷かれた鉄道で、1985年には路線が廃線となりました。現在は小樽市によって鉄道跡地の整備が行われ、当時使っていた線路や踏切、遮断機を残し、約1.6kmの散策路として生まれ変わりました。2018年には北海道遺産「小樽の鉄道遺産」にも選定。
北海道で最初に引かれた鉄道の1つの手宮線の跡地ですが、公園風に整備されており、合法的にスタンドバイミーごっこが出来ます。小樽駅から運河へ行く道と途中で交差しているので、わざわざ出向かなくてもお手軽に寄り道することが可能です。
祝日午前に訪問鉄道廃線跡地を散策出来るように整備した物明治期に石炭輸送の為に整備された鉄道跡役目を終えた後は遺構を保存しつつ散策出来るように整備された鉄路の上を歩く事が出来る景観も良い場所で運河沿を散策した後に此方を歩けば歴史を感じる事が出来るだろう小樽に寄った際には足を伸ばしたい場所。
春5月。線路の横には花が咲いていました。鉄道博物館まで往復してきました。後日散歩をしてたら草刈りをしてありました。自動車の騒音も無く静かです。
東南アジアひとり旅では線路の上を歩いて移動しましたが、日本で線路の上を歩ける貴重な遺産だと思います。日本一周の旅の途中で寄りました。どうしても小樽運河が大きく取り上げられますが、この廃線もなかなかいい観光スポットですよ。個人的には小樽観光のマストスポットです。廃線上に生える草も年月を感じいい雰囲気です。街の中心にあるのでロケーションもいいです。入場はありません。街を歩いていて普通にあります。東南アジアひとり旅では線路の上を歩いて移動しましたが、日本で線路の上を歩ける貴重な遺産だと思います。日本一周の旅の途中で寄りました。どうしても小樽運河が大きく取り上げられますが、この廃線もなかなかいい観光スポットですよ。個人的には小樽観光のマストスポットです。廃線上に生える草も年月を感じいい雰囲気です。街の中心にあるのでロケーションもいいです。入場はありません。街を歩いていて普通にあります。周辺には東南アジアにありそうな不気味な飲食店があります。混沌とした雰囲気ですが今度訪問してみたいと思います。その店もいい雰囲気です。ぜひおススメするスポットです。その店もいい雰囲気です。ぜひおススメするスポットです。
名前 |
旧手宮線 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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観光歩鉄スポットです。開業時は官営幌内鉄道、その後北海道炭礦鉄道、最終的に国鉄手宮線となった経緯を歩きながら知ることが出来ます。正しくは官営幌内鉄道時代はこの線路跡ではなく少し海側に線路が引かれていました。そういった情報も案内板から得ることが出来ます。歩道整備されているのは、小樽市総合博物館 手宮口から色内駅跡の150メートルほど先までで、歩道の終わりは煉瓦橋台になっています。対岸にも煉瓦橋台があり、駐車場になっている軌道敷にも線路が残されていました。